「これがやりたかった」に至るまで
有名な個人製作ゲーム・洞窟物語の制作エピソードに「実現させたいシーンがあった」というのがある ・外壁から 塔を登っていくシーンを 実現させたかった
BGM(つきのうた)を流しながら 外壁を登っていくシーン
→ このシーンを実現させること
それをモチベーションに、このゲームを作っていった
該当のシーンはストーリー後半だが、実際に通しで遊ぶと、BGMもあいまって、かなりぐっとくる
引用元に記載のBGM人気投票でも「つきのうた」が1位になっているが、納得である
この「これがやりたかった」という取り組み方は、絵だと一筋縄ではいかないイメージ 作り手の意思は等しく存在するのに
消費速度の問題?
前提として、ゲームはスタートからエンディングまでそれなりに時間がかかる
その中の展開に「これがやりたかった」を組み込みやすい
漫画、アニメ、映画、ドラマ、舞台でも可能だろう
音楽や歌だと、歌なら1番と2番があったり、サビに至る過程があったり、数分の中に「これがやりたかった」を組み込む余地がある
絵は一目見て終わってしまう
全体が目に入るので、1番も2番もない
連作も、容易に1枚だけ紹介 / 転載される
「(これを)前から描いてみたかった」のようなコメントをする絵描きがたまにいるが、絵そのものに対して何の効力も持たない
今回はこの絵を描いた、止まり
作者がやりたかったことをやると怒り出す人もいる
絵の領域にもいる
期待していた作物(さくもつ)じゃないので、怒る