バイブコーディングをめぐる議論
なぜバイブコーディングをめぐる議論は噛み合わないのか
AI楽観派にとって、「動く」ことがすべての証明。
AI慎重派にとって、「なぜそう動くか」がすべての理由。
両者が同じコードを見ても、
前者は「成果物」を見ており、後者は「思考の痕跡」を見ている。
視点の深度が違うのだ。
絵も同じ
少なくともmk.iconは自分で描く側として、過程に関心がある
引用元の「思考の痕跡」
変数を振り返る
制作過程のデータが必要
動くことがすべてだと追認になる
つまらなくてつらいのは同じ