満洲国弁護資料
こちらも参照
■満洲国建国は正当である
これの引用論文
■Percy Horace Kent 「The Passing of the Manchus」(1912) p.131-
支那人に「人の憐みの情は全くなかった」。女性に対しては性欲が血の渇きを凌駕した。満州人は撃ち殺され、斬り殺され、自殺し、生きたまま焼かれ、20,000~30,000人が虐殺された。
更に西洋人暴行殺害の様子が続く。
以下、ハイライト付き
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以下、ハイライト無し。オリジナル
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J.C.Keyte「The Passing of the Dragon」(1913) p.42-
満州人の男女子供が虐殺される様子が描かれる。p.45ではひざまずき命乞いをする集団が銃殺され、手を縛られた若い女性が首を切り落とされたことも書かれている。
蛍光ハイライト付き
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オリジナル
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■サボターさんの資料
日本が直面していた状況
満洲国建国は正当である
「紫禁城の黄昏」(サー・レジナルド・フレミング・ジョンストン)より抜粋
リットン調査団の満州事変まで、独立の動きがなかったというのは嘘
世界史の窓 当時の動き
1916年6 月6日
袁世凱死去
1919 年
張作霖は日本の保護のもと、溥儀をおいて奉天で満州国を作ろうとする
1926年12月、張作霖は北京で陸海軍大元帥に就任し、自らが中華民国(北洋政府)の主権者であることを宣言した。
死去 1928年6月4日
参考 その他全て
■日本は満洲門戸開放のチャンピオン
下の論文に、
London The Times 1932 Jan
に、「 日本は満洲での門戸開放のチャンピオン」なる記述がある。
The AMERICAN HISTORICAL REVIEW
April, 1954 Vol. LIX, No. 3
The Stimson Doctrine and the Hoover Doctrine
RICHARD N. CURRENT
Great Britain and the Stimson Note of January 7, 1932
Robert A. Hecht
東京裁判資料の以下にも
Since the recent events in Manchuria, the Japanese representatives at the Council of the League of Nations at Geneva stated on the 13th October that Japan was the champion in Manchuria of the principle of equal opportunity and the open door for the economic activities of all nations.
Further, on the 28th December, the Japanese Prime Minister stated that Japan would adhere to the Open Door Policy, and would welcome participation and co-operation in Manchurian enterprise.
満州での最近の出来事以来、ジュネーブの国際連盟理事会における日本代表は10月13日、日本は満州における機会均等原則の擁護者であり、すべての国の経済活動に門戸を開いていると述べた。
さらに12月28日、日本の首相は、日本は門戸開放政策を堅持し、満州の事業への参加と協力を歓迎すると述べた。
■進んだ満州国
中国、支那とは何か?
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わが国が国際連盟を脱退した経緯⑧ その後の張学良・蒋介石の動き
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