朝鮮戦争
アメリカ政府のサイト
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カーチス・ルメイ 1972年6月8日インタビューで朝鮮戦争を振り返る
私は当時、戦略空軍司令部(SAC)にいたが、遠く離れたワシントンに助言を求める者はもちろん誰もいませんでした。むしろ、自分達がペンタゴンのドアの下にちょっとした提案をこっそりと忍び込ませました。戦略空軍司令部に、核兵器よりも焼夷弾的なものを北朝鮮の4つか5つの町を投下するよう命令してくれれば、その爆撃で北朝鮮はアメリカが本気であると知り、戦争を止めるかもしれないと。
それに対する返信は「駄目だ、そんなことはできない」でした。その返信もまた秘密ルートできました。「非戦闘員を殺しすぎてしまう」と。いやいや、そもそも(第二次世界大戦の時は)誰も非戦闘員のことは気にしてなかったんですが。私が今言ってるのは、東京、大阪、名古屋、その他の場所への爆撃のことです。
それで我々はそれをせず、3年半から4年の間戦争を続けました。(しかし結果的には)我々は焼き払った(We DID burn down )。我々は北朝鮮のすべての町と、韓国のすべての町を焼き払ったのでした。釜山もその一つです。あれは事故だったがどのみち焼き払った。韓国/朝鮮の人口の 20パーセントを殺した。それは戦争による直接的なものと、何年も戦争状態にさらされた事や病気などによる2次的なのからなります。
これらの死は、良しとするもの(palatable)です。
「いや、そんなやり方で戦争を止めることはできない、そもそも非戦闘員を何人か殺してしまうかもしれないし」とか言う人がいるでしょう。しかし私が言いたいのは、問題を解決するために軍事力を使うと決めたら、それを使うべきだということです。しかも圧倒的な軍事力で。使いすぎにする、意図的に使いまくるのです。そうすれば、使い足りなかったという逆の失敗をすることはありません。まずすべてをひっくり返し、そのままやり切って終わらせるのです。それによって資源は節約され、命が救われるのです。自分の命だけでなく、敵の命も。そして、回復はより早く、誰もが平和な生活に戻るでしょう。願わくば、より短期間で。これがより人道的で効率的な方法だと思います。しかし、このやり方は、今日では実現不可能なことのようです。
韓国朝鮮についてのさらなる議論
ファン・スターヴェレン: ベトナムでの爆撃計画、特に 1964 年後半について、1 つだけ質問したいと思います。ジョンソン大統領の顧問の何人か、その中には 国家安全保障担当補佐官マクジョージ・バンディもいましたが、北朝鮮に対する小規模な爆撃計画でさえ、ハノイはおそらく 3 か月以内に停止し、撤退するだろうと確信していたと言われています。このような推論があなたの机に届いたことはありますか?
ルメイ: そうですね、このような推論は戦争では決して成功しないようです。敵の抵抗を常に過小評価します。これは自然な傾向です。これは特に、理性的な人間が座って意見の相違を話し合うことができないことを理解できない、知識人タイプの人々に当てはまります。彼らは学術の場で長い間そうしてきたので、誰もがそうできないことを理解できないのです。
朝鮮戦争中に米戦略空軍司令官だったカーチス・ルメイが残した言葉。
「我々は南北両朝鮮のほとんどの都市を焼き尽くした。……我々は百万を超える朝鮮市民を殺害し、さらに数百万人の市民が悲惨な目に遭うようにかれらを故郷から追い出した」
1950年6月25日 朝鮮人民軍が北緯38度線を越えて韓国に侵攻して朝鮮戦争が始まった日
3年後の53年7月27日に国連軍と中朝連合軍は休戦協定に調印
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「ベトナムを石器時代に戻してやる」(カーチス・ルメイ/アメリカ)【アメリカの航空司令官。ベトナム戦争において北爆を実行する際】
「私は、過激なことをするつもりだった。日本人を皆殺しにしなければならなかった」と語った録音がアメリカに残っているそうです。このカーチス・ルメイはベトナム戦争のときは、北ベトナムを #絨毯爆撃 して、「ベトナムを石器時代に戻す」と豪語したことでも有名です。ともかく、殺せ、殺せ、ジャップもベトコンも皆殺しだ、と叫んだ男