『つなわたりの倫理学 相対主義と普遍主義を超えて (角川新書)』
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ISBN:4040825012
〈正しさ〉が空洞化する世界で「筋を通す」ための哲学!
分断が深まる世界。複数の〈正しさ〉が衝突するなかで、人は難題を前に「何でもあり」の相対主義に陥りがちだ。人生の切実な「問い」に直面して "筋を通す" ための倫理とは? カントに代表される義務倫理、ミルやベンサムが提唱した功利主義に対し、アリストテレスを始祖とする徳倫理はこれまで充分に注目されてこなかった。近代が置き去りにした人間本性の考察と、「思慮」の力に立ち戻る新たな倫理学の潮流が、現代の究極の課題に立ち向かう!
◆積極的安楽死は認められるか?
◆妊娠中絶の自由か胎児の生存権か?
◆テロリストの逮捕か人質の命か?
◆安全基準か雇用の最大化か?
【徳倫理とは】
アリストテレスを始祖とし、人間本性の考察に基づいて思慮の力と「どうしたいか」を重視する倫理学。カントに代表され「すべき(でない)」と人を縛る義務倫理、ミルやベンサムが提唱し、経済学と結びついた功利主義と異なる第三の潮流である。
序章 したいことをしよう―自愛と生の充実(9)
倫理は「しなければならない」ことを意味したわけではない
義務倫理はカント以降
古代ギリシャの倫理観から「したい」倫理への転換、原点回帰をはかる
第一節 倫理思想の原点(10)
倫理思想の原点にあるのは幸福への問い
アリストテレス『ニコマコス倫理学』:幸福こそ、私たちの全ての行いが求めているもの
幸福への問い
私たちは何を求めているか
私たちが何であるか
人間本来のあり方を知らなければならない=本質や本性によって規定される
幸福とはそのものの本来のあり方や本質が充実されている充実した、生き生きとした生の展開
第二節 古代ギリシャ人の考えた人間本章(12)
ギリシャ語での「幸福」=ユウダイモニア(エウダイモニア)は、私たちが想像する幸福とは同一ではない
幸福
≠状態
=自らの能力を発揮している活動(人間本性の発揮に基づく)
今はこの問題はおいておく
古代ギリシャ人は何を人間本来のあり方、人間の本性と考えたのか
共同生活(現代風にいえば共生)
ロゴス
理性と訳されるがほぼ翻訳不可能
言葉
論理
分別
物事の理
対立するものは獣(欲望の赴くままに生活する)
節制の徳
調和(ハルモニア)
第三節 徳倫理
現代の倫理理解のヒントとしてアリストテレスに目を向ける
どのようにして人間の本性が遺憾なく発揮される幸福な生をもたらすことができるか?
徳(アテレー)
人間の本来的な生活を充分に発揮するための資質、心の姿勢
人間の欲求と結びついている徳が節制
×高潔、立派
心地よさを与える、ユーモア
第四節 幸福か生の充実か
古代ギリシャの倫理思想のユウダイモニズム(≒幸福)や徳はそのまま現代には応用できないとする典型的な批判
①幸福の多様性
→代わりとして「生の充実」が注目される
第五節 人間本章と徳
②人間本性
本性などない
例:フーコー
一定の本性はある
ヌスバウムの反論
人間の生活の「基本的な経験」から徳倫理を構想する
第六節 徳の相対性
現代版徳倫理について触れる前に、もう一つの困難を見ておかなければならない:徳理解そのものの相対性(徳の多様性)
徳は社会相対的、文化相対的である
時代と社会に特有の徳がある
同じ名称の徳でも理解はさまざま
例:正義の徳
徳倫理が抱えるもう一つの問題
心の内実からは導けない問題がある
例:社会的公平
少ない医療資源の割り当てはそれぞれの心のあり方や性格の問題ではない
現代は個人の倫理的あり方と、社会的、政治的あり方をはっきり区別する
なぜ今、徳倫理のアプローチが必要なのか?
「しなければならない」強迫に駆られる窮屈な倫理、神経症的な倫理の視点を脱して、本当に私たちは何をしたいのかを広く問う可能性を開いているから
狭い倫理思想ではなく、おおらかな倫理観が人間に相応しく、徳倫理は大きなヒントになる
徳倫理は、一つ一つの行為の良し悪しではなく、問題に直面した時の心構えや問題に対峙する心のあり方に焦点を当てる
第七節 現代の徳倫理―マッキンタイアの場合 p33
現代の徳倫理から洗練された徳倫理の現代版
マッキンタイアの「実践」に基づく徳理解
マッキンタイア
スコットランド出身のアメリカの思想家
コミュニタリアニズムの代表的論者
コミュニタリアニズムとは
倫理観や人生観には歴史的社会的共同体が育んだ価値観や世界観が埋め込まれている
価値観の社会的相対性に対する感覚を強く持つ
「実践」
首尾一貫した複雑な形態の、社会的に確立された強力的な人間活動
一人ではなく、複数の人間が関わる社会的活動
例:大学の講義、病院の治療、スポーツの試合、政治活動、家庭生活、チェス、農業経営、芸術活動
サッカー
蹴る、ドリブル、シュート
監督やコーチの指示や助言、審判の判断
様々な行為、活動複合体
共通の徳がある
徳を人間の本性ではなく、「実践」に必要な特徴として描き出す
問題点・欠点
実践の内容を捨象し、実践を中立的に捉え、徳の対象をあらゆる実践にまで広げた
悪党の勇気
徳が依拠する次の段階:人生の統一の次元
ヌスバウムの潜在力アプローチ(capability approach)
第八節 現代の徳倫理―ヌスバウムの場合
マッキンタイアとの違い
徳概念を直接取り上げてはいない
焦点は徳概念を支える人間本性
ユウダイモニズム
人間に共通した特徴を考える
人間の生活に欠かせない経験、活動のあり方
アリストテレスの影響は明白
潜在力(capability)
第九節 思慮と実践
徳倫理は行為ではなく、行為主体のあり方を問題にするが、どのように行為すれば良いのかの基準を示していない
行為への実践知のあり方としての思慮(フロネーシス)
しかるべき時とは、いつ、いかなる時で、しかるべき事がいついかなる事で、しかるべき仕方は何か
第十節 自愛
古代ギリシャの倫理思想の根底には人間に対する信頼と肯定がある
近代の倫理思想が失った
功利主義にはかろうじて残っている
しかし、自愛の難しさについて考えるヒントは与えていない
第1章 適当にしよう―徳倫理と思慮
第一節 三つの倫理観と思慮の問題
消極的安楽死を倫理思想の3つの立場から検討してみる
倫理思想の3つの立場
カントに代表される義務論
ベンサムとミルに代表される功利主義
アリストテレスに代表される徳倫理
違いは行為を扱う観点
義務論:行為自体
功利主義:行為の結果
徳倫理:行為する主体
どのアプローチの原則を採用しても一義的な回答は得られない
第二節 徳のない人と徳倫理
そもそも徳を持つ人間などいないのではないか問題
①徳がなくても徳のある行為の指針にはなるだろう
②徳がある人と抑制している人は別
徳を備えた状態≠徳っぽいものを持っていて思い悩んで抑制しているケース
第三節 徳と知覚と認識
徳は心を一定の方向に向ける
徳ある人は徳ある行動以外を思いつきもしない
これをマクダウェルは「せり出した事実(salient face)」、「せり出したことがらの知覚(perception of saliences)」
例:
井戸に落ちた子供をみて、「井戸に落ちた!叫んでいる」と咄嗟に知覚し、思わず走り寄る
目の前でうずくまっている人のズボンの後ろから財布が置いた。それが目に際立ち飛び込んでくる。
徳であれ悪徳であれ同じ
実は「徳は行為の基準として曖昧だ」という批判に対する応答の一つ
信念→欲求→行動が必ずしも正しくないことを示している
信念と欲求のモデルは通俗心理学(素朴心理学)、現代の英米系哲学がよく使うモデル
知覚や認識は行為に対して中立的ではなく、方向性を描き出す
tks.icon事実や状況を知覚した時点で既に行為へ一歩、二歩と歩み出している
「せり出した事実」の限界
心を一定の方向へ向ける力を持つとしても、行為へと動機づける決定的な要素にはならない場合がある
特に、徳の原則が衝突するケース
例:安楽死
自己決定権と生命の尊重の対立
徳が十分でなく他の動機が優先されるのではなく、ある徳と同時に他の徳も力を持つ
古典的な徳倫理では想定されてこなかったケース
第2章 適当にしよう―安楽死・妊娠中絶・格差
第一節 安楽死と徳倫理―フットの場合
第二節 妊娠中絶と徳倫理―ハーストハウスの場合
第三節 再び 思慮と実践
第四節 配分の問題と思慮―格差原理とその応用
第五節 配分の問題と思慮―格差原理と潜在力(capability)
第3章 よいことをしようと思うな、悪いことをしよう
第一節 モラルディレンマと二つの例
第二節 テロリズムと小悪選択の原理
第三節 小悪選択か悪魔に魂を売ることか
第4章 誠実に嘘をつこう
第一節 アンネ・フランクと嘘の問題
第二節 prima facieな原則
第三節 レグルスの決断
第四節 嘘か戦略か―ビジネスの駆け引き
第五節 告知―偽りの思いやり
第5章 不平等を実践しよう
第一節 第三世界の子供たちを援助する責任はあるか?
第二節 行為主体
第三節 多国籍企業と公平―ボパール化学工場事故
第四節 第三世界で行われる臨床試験
第五節 衛生環境・衛生観念・衛生教育
第6章 人間的に考えるのをやめよう―動物の倫理
第一節 動物の倫理的扱いを巡る三つの次元
第二節 動物の倫理的扱いを巡る第三の次元と生存権
第三節 ヌスバウムの場合―潜在力アプローチ
第四節 ヌスバウムの場合―権利論のもたらした難点
第五節 テンプル・グランディンの場合―動物感覚と想像力
第六節 視覚をもつ死角と将来の懸念 附論 潜在力