掛け算の順序 ログ
かけ算の定義
(ひとつ分)x(いくつ分)
同じ数ずつを足し合わせて全体を得る
構文を定義して、その意味を記述する一階述語論理の標準的な定義の方法
これを書き写す問題もあります
最初は「同じ数ずつのもの」を特定する掛順問題になっています
実世界の中にかけ算を発見する作業です
琉球大学の教授とレスバして遊んでたんですが、僕今までかけ算の順序問題については「教師にならないしどうでもいい〜」って思ってたんですけど、A×BでAがBの従属変数のパターンに遭遇した時にバグるという実例を見てしまったのでこれからは積極的交換可能派になります。
何かというと、かけ算の順序問題って「ひとつ分」という量が出てくるんですけど、これを本当に区別しなきゃいけないときが出てくるんですよ。例えば距離・速度・時間。小学校の時x=vtって習うけどこれ嘘でx=∫vdtが正解じゃないですか。区分求積法のアナロジー的にはvに対してt個分という考え方ですよね。
逆に、例えばオームの法則V=RIとかって真に順番を区別する必要ないじゃないですか。たかが掛け算に順序つけてたらこの2つが区別できなくなる。
(m+m)v=m(v+v)+m0
は運動量で、mの累加とvの累加が両方入ってる
これを
P(V+V) =(P+P)V
という形に書くことは可能だ。これは空気バネね。これは誰かが騒いでいたPV=一定の場合ね
1Pa x 2ℓ = 1ℓ x 2Pa
という形ね
掛け算の順序が一撃で理解できる画像です。
https://gyazo.com/dab238fe96911701bbd123ebeb573437
なんだかよくわからない主張
掛け算の順序などという物を、新潟県湯之谷村の井口小学校でも、長岡市の付属長岡中学でも、灘校でも、東大でも一切習っておらず、特段何の不自由もないというか、そんな馬鹿な事を教わらなくてよかったとしか思わないのですが、この界隈は一体何を議論しているのだろうと思います。
米山隆一@RyuichiYoneyama
さん、こんにちは。この問題についてしばらく調べているものとして、衆議院議員のあなたに教育の現状をお伝えします。#超算数
掛け算の順序は、近代化以降の日本の算数教育における標準的な指導です(後述)。【この界隈】のような狭小な範囲だけに留まる問題ではありません。
#超算数 現代日本の算数の検定教科書は6種類あります。6社の発行会社が各1種類。シェア第1位の東京書籍は、画像1のように、2×5と5×2は異なる場面を表す式であると教えています。学校図書の最新版でも掛け算の順序が違うと表す場面が違うと指導(画像2)。 #超算数 現在、掛け算の式と具体的場面を一対一に対応させる記述は、全6社の教科書にあるものと思われます。戦後教育の出発点となった1951年指導要領が、2ヶ所の記述で順序指導を肯定しているので、戦後教育を受けて順序指導を免れた人は、さまざまな幸運に助けられています。 #超算数 この指導はできない子供のためだという意見を散見しますが、逆にできない子供を作り出すのが実態です。教科書の教師用指導書(教科書会社が検定外で作成。学校が公費で購入するが一般公衆には閲覧さえ困難)には、【キーワードに下線をひかせ】、「ずつ」のついた数を先に書いて式を作らせると。 #超算数 このように、専門家はおかしな算数指導を黙認しているのではなく、積極的に作り出しているのです。これは日本が近代化とともに受容した算術教育に根ざしています。掛算の順序は岩手県の学力調査報告(1910)に採点基準として登場するほど古いものなのです。 そうか
V=IRとI=GVの両方を同時に議論すれば逃げられないわけね
V=IR は、Rで自然な累加になる
I=VGは、Gで自然な累加になる
電圧Vは、水を押し出す「水の勢い」
電流Iは、流れる「水の量」
抵抗Rは、水の通り道の「細さ」
「そういう表現ができるときもある」
をもって掛け算全ての順序を語ろうとするのは浅はかに見えます。
これらは自然な累加を表現するためにあるわけ
自然な累加とは
(ひとつ分)x(いくつ分)
同じ数ずつを足し合わせて全体を得る
にそった累加のことね
それが
「どの掛け算に対しても、誰が見ても迷いなく同じ順序」
にならなければ
「掛け算に順序がある」
ことにはならないことはお分かりですか?
文章題や場面を表す絵をもとに数式を作る際、「立式」という特別な段階があって、そこでは掛け算の順序が決まっている、というのが「掛け算順序強制派」教師の主張です。 しかし、掛け算は順序によらないというのが数学的事実なので、この主張は誤っています。掛け算の式はいつでも好きな順序で書ける
拾いものだがまさに掛け算順序のこと。
良いこと言う😌
https://gyazo.com/b87780f76d0ef2e029486af2d25cf49c
掛け算順序問題は、私は言及するのを避けてきたのですが、私の書きものが引き合いに出されているようなので、以下、私の考えを述べます: @soave1234567890 @ShigeruTsuka @ns10110412
まず結論から言うと、私は、可換な量の掛け算はどういう順序で書いてもよい、と思っています。また、そのように実践しています。
「5人の子供に3個ずつ飴玉をあげたときの飴玉の総数」は 5x3 でも 3x5 でもいいし、「時速40kmで3時間走った距離」を求める計算は 40 x 3 でも 3 x 40 でもいいです。
本当は物理量を数値表現するときは単位をつけて書いてほしいですが、このレベルの計算ならいちいち各項に単位をつけなくてもいいでしょう。
「1日24時間、1年365日だとすると、1年は何時間か?」という計算を 24 x 365 でやろうと、365 x 24 でやろうと、どっちもいいです。一方がマルで他方をペケとする理由がないです。私なら、筆算で計算するなら 365 x 24 の方が行数が少なくて済むと思います。
文脈は大事ですが、言葉の意味に合わせて数式を書き並べるべき必然性はありません。
語順が SVO型(I get it)の言語もあるし、SOV型(私はそれを手に入れる)の言語もあって、語順や意味順を数式に反映させるべき普遍的理由がありません。
例えば、関数は f(x) という順番に書くことが多いですが、これは「f は x に作用する(f acts on x)」という英語的な語順に従ったものと想像されますが、本来は (x)f と書いてもよいし、x(f) と書いてもよいし、fx と書いてもよいし xf(x が fされる)と書いてもかまわないものです。
行列 A がベクトル v に作用することを Av と書くことが多いですが、使い方さえ間違えなければ vA と書いてもかまいません。そういう書き方の本もあります。
「距離=速度 x 時間」だって、考え方しだいで D=VT と書いてもよいし、D=TV と書いてもよいです。
いくら文脈や意味を考えても、数式の書き方は一意的に「こうであるべきだ」とは決まりません。
ただ、会ったこともない人も含めて多くの人が書きものだけを通して意思伝達しなければいけない場面では、「ある程度、表記法を統一しておいた方がよい、その方が表記のブレで悩ませたり誤読されたりすることを避けられる」というのは、当然一理あります。
例えば、積分の式を xd f(x)∫と書いたら混乱するので、∫f(x)dx くらいは一定の順序で書こうよね、ということになっていると思います。 これは必然性の問題ではなく、便宜の問題です。
小中学校の算数・数学に出てくる掛け算は、難しいことを考えなくても、可換であることは明らかです。
学校で子供たちに掛け算順序を覚える・覚えさせることは生徒と教員の双方にとって大きな(しかも不要の)負担だし、掛け算順序の合理性を子供に納得させることは難しく、「順序間違い」でペケを付けられた子供は高い割合で算数嫌いになるか、思考停止の癖をならってしまうでしょう。
私が子供だった頃は、掛け算順序をうるさく言われた覚えはありません。 小学生だった私がもしも「掛け算順序間違い」でペケを付けられていたら、私はまず納得しなかったでしょうし、先生に対して強い不信感を抱いたことでしょう。
なぜ現行教育制度において掛け算順序指導が行われているのか、私は、はかりかねます。また、これはSNS上でいくら議論を繰り返しても決着のつかない問題なのだろうなと思っています。なぜなら「掛け算順序固定にメリットがある」と思うことはできて、そういう考えを覆すのは難しいからです。
そういった次第で、私はこの種の議論は徒労に終わると思っているので、これ以上、掛け算順序問題には言及しません。
あーそうだそうだ、バズったら何か宣伝のっけるのが Xのマナー(?)だった。
今回の元ネタ(?)になったのは私の「トポロジー・圏論・微分幾何」という本です! 内容は、掛け算順序については一言も触れていなくて、トポロジーや幾何学など直観的にイメージしやすい数学をきちんと論理的に語ろうというものです。
「トポロジー・圏論・微分幾何」の続編として、「幾何学から物理学へ」という本も書きました。自分では自信作です!
私、ふだんは量子力学の数学的な研究をやっています。「量子力学10講」という本を書きました。なるべくやさしく、しかし、ごまかすことなく量子力学を解説したつもりです。
最近は AIの研究もやっています。かんばしい成果は出ていませんが・・・頑張っています。
そんなわけで、今後ともよろしくお願いします!
多数の方が、急激に「うすうす思ってはいたけど、なんかあいつら皆が皆、日本語を読めてないし、書けてないよな?」という強烈な共通項がある事に気づきだしている。『数式の意味』を語るのが、『文章の意味が読めないし、意味の通る文章を書けない人』という事実は決して無関係ではなさそう。
2*5 = 5*2
掛け算→足し算に変換した場合で、1つめの値と2つめの掛ける回数固定で展開すると同じにはならない
2 + 2 + 2 + 2 + 2
5 + 5
a * b = b * aを、左辺はa = 2、右辺はb = 5と見たときの累加
掛け算→足し算の変換がa × b→ a + a + a + ...、b × a→ a + a + a + ...と見てほしい部分が同じになる場合は同じになる
2 + 2 + 2 + 2 + 2
2 + 2 + 2 + 2 + 2
2[kg] × 5[m/s] = 5[m/s] × 2[kg]
例えば、2を3回足すという場面を表す「しき」を2*3と定義する。
当然、2*3≠3*2であり、2*3→2×3=2+2+2ではあるが、2*3≠2×3=2+2+2である。こういう「しき」を運用すれば、いまある議論はほぼ収束する。これを「値を返してしまう2×3」に求めてしまうことが矛盾を生む原因だから。
勿論、ひとつ分が一意に定まらないという当たり前の論点や、そもそも強制派が「2*3→2×3=2+2+2ではあるが、2*3≠2×3=2+2+2」を許容できるのかといった問題は残るし、そもそも数学的・教育的に意味があるかは別の問題ではあるが。
運動量の掛順で、泣き叫ぶ反順序たち
反順序は勘違いに過ぎない。「mv=vmだから掛順はない」という交換しない交換則は単なるトンデモだ
5m/s x 2kg =2m/s x 5kg の2kgと5kgは、飴と皿の2枚と5枚の差と同じ
単純化しすぎているような気がする
運動量はmvであってvmではない、みたいな主張がわりと頻繁に流れてくるのですが、mが質量でvが速度ベクトルならmvもvmも運動量以外のなにものでもないんで、どっちを使うかは好き好き どっちでもいいことは自明なのに、いったい何を言ってる?
質点の速度をv、比例係数をmとして、運動量(momentum) pは、
$ p = mv
mは慣性質量 (inertial mass) と呼ばれ質点の速度の変化し難さ
質点
質点(しつてん、英語: point mass)とは力学的概念で、位置が一意的に定まり質量を持つ運動の要素だが、それ以外の、体積・変形・角速度などの内部自由度を一切持たないものと定義される。
mv=vmは交換則
「a x b = b x a は、aをb回足すのと、bをa回足すのと値は等しい」
(vひとつ分)x(mいくつ分) 質量による累加
自然な累加
(mひとつ分)x(vいくつ分) 速度による累加
トランプ配り
(m+m)v=m(v+v)の右辺は質量による累加、左辺は速度による累加
両辺の運動量は同じ、運動エネルギーは異なる
運動量には掛順がある。反順序は終わり
5m/s x 2kg =2m/s x 5kg の両辺の運動量は同じ。2kgと5kgの掛順の差がある
運動量には掛順がある。反順序は終わり
簡単だろ
ChatGPT.iconによる回答
m: スカラー、v: ベクトルなので考えなくてもいいことを考えているような...?
私もmv でもvmでもどちらでもよいと思っています。あえて言えば、vmには少し気持ち悪さを感じますが、だからといって、その個人的な違和感を正当化するために後付けで理屈をこねるのは違うとも思っています。
かけ算の意味は順序ではない
mv=vmと書く時は、はっきり交換則だ
(m+m)v=m(v+v)
とかっこを使って書くこともできる
質量による累加と速度による累加だ
(ひとつ分)x(いくつ分)を使って書けば
1m/s x 2kg =1kg x 2m/s
5m/s x 2kg =2m/s x 5kg の両辺の運動量の掛順は異なる。運動量には掛順がある
代数的な視点ではmv = vmは可換
質点の速度をv[m/s]、比例係数をm[kg]として、運動量(momentum) p[(kg·m)/s]は、
$ p = mv
kg * m/s = (kg·m)/s、m/s * kg = (m·kg)/s
朝、息子のランドセルからぴらりと出てきたテスト。95点。納得がいかず悔しくて出せなかったらしい。
【問】4人の子供に8枚ずつシールを配るには何枚シールが必要か。
【解】
☓4×8=32枚
○8×4=32枚
大丈夫、母さんも納得いかない。
おはようございます。
最高裁までいく。
画像
どっちでも丸で大丈夫です。
確かに8×4の方が「より適切」とは思いますが、わざわざ文中の数の順番を逆にしてまで測る力でもないです。
2021年11月30日
なぜ「より適切」なのでしょうか?
2021年12月1日
これをあなた方に伝えるのは非常に骨が折れるし結局伝わらないとは理解したので、詳しく説明するつもりはありません。
3+5と4+4は違う意味です。
と認めていただけるのであれば話は先に進みますが、それはできないですよね?
2021年12月1日
3+5と4+4は違う意味
なんて人が数学教師やっていてはまずいでしょう。
2021年12月1日
はい、ありがとうございます。
だから無理なんですって。
同じ意味です。
ってなるんだったらそもそも何のために人は式を書くんですかね。
人とのコミュニケーションや説明には使えないんですかね。
2021年12月1日
同じ意味だけど異なる表現をすることはあるでしょう。それを説明に使うこともあるでしょう。
2021年12月2日
「式の値」と「式の意味」は同じなんでしたっけ?
ここでいう「意味」が数理論理学でいうsemanticsのことでしたら、「式の意味」とは「式の値」のことです。日常会話でのmeaningのことでしたら、「式の意味」は一意に定まらず、数学の関知するところではありません。 午前0:10 · 2021年12月2日
また「式の値」が話題になっているので、再掲。
午後1:06 · 2024年11月5日
「式の値」以外の「意味」の(数学的・論理学的・情報学的)理論としては計算(簡約)方法も表す「操作的意味論」がありますが、やはり(文脈)等価なので「順序」は正当化されません。釈迦に説法で失礼しました。 午後11:30 · 2024年11月9日
「数式の意味は数である」と言っているのに「「数式に意味はない」と言っている」と言ってくるんだよね。
雑な言葉づかいだし、彼らにとっては数式は「数」以外の何か(場面とか)を表すことこそが本来の役割だと思っているということだよね。
それじゃあ、数学は理解できないだろう。
午後0:49 · 2026年7月16日
この件、4年半前もやってますね。
午後4:51 · 2026年7月16日
まあ、掛け算の順序に意味があるという人たちにとっては、値以外にも意味があるというのは根本原理でしょうからね。
午後5:12 · 2026年7月16日
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学習指導要領の順序固定がエリート主義だと?笑わせるな。数学者の理論より、まずは子供が迷わず計算できる「型」が先だ。手続き的記憶を軽視して抽象化など夢のまた夢。現場の負荷も知らない数学オタクは黙っていてほしい。 #算数教育 #学習指導要領 #教育論 主張
1. 計算手順の固定は、子どもを抑圧するものではない
2. 初学者には、まず一定の解法手順を習得させる必要がある
3. 手続きが定着してからでなければ、抽象的理解には進みにくい
4. したがって、順序や型の固定には教育上の合理性がある
順序に柔軟性を持たせるなど、数学が得意な子だけが楽しい地獄だ。認知負荷理論を無視してワーキングメモリを圧迫する教育界の「正解至上主義」。弱者を切り捨てているのは、効率化すら許さない柔軟性という名の怠慢ではないか。 #数学教育 #認知負荷理論 #教育論 主張の整理
1. 計算順序や解法に柔軟性を認めると、学習者が複数の可能性を検討しなければならなくなる
3. 数学が不得意な子ほど、その負荷に耐えにくい
4. したがって、柔軟性の導入は学習格差を広げる可能性がある
順序強制のほうが、先に見つけた「いくつ分」を書かずに置いとかなきゃいけない分、ワーキングメモリを圧迫するのでは…?
新しい視点
小学校の掛算、言い換えれば整数の掛算について、一体群論や代数学が何の関係があると言うんだろうね?説明無しにどうやって理解しろと?
これがネトウヨの脳みそ。反順派が寄りどころにしている群論や代数学を否定しだしたwwwおい反順派のアンチの誰か、こいつに教えてやってくれww
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累加とかけ算
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勘違いしているのはどっち?
(私も50年間勘違いしていたが!)
数学(算数を含む)でいう乗法の交換法則、例えば3×8=8×3とは
① 3+3+3+3+3+3+3+3 は、3×8 とも 8×3 とも書いてよい。
② 3+3+3+3+3+3+3+3=8+8+8 のことである。