志水克大さんのPlurality関連投稿
from 雑談ページ9
志水克大さんのPlurality関連投稿
参考になりそうnishio.icon
(注:takker.iconが展開)
@fpocket
DeSci Tokyo & Funding the Commons Tokyo (FtC Tokyo) 2024 (7/24-25)まで一週間を切ったので, Pluralitybookを読んで自分なりに重要だと感じたところにコメントを入れてスレッドに貼っておきます.
Funding the Commons Tokyo 2024takker.icon
@fpocket
E. Glen Weyl, Audrey Tang, ⿻ Community (寄稿), "⿻ 數位 Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy" (2024).
https://gyazo.com/4167430bcfdc67450a3d0ba9ccc79b21
@fpocket
Pluralityが目指すのは、社会システムを複雑系と捉えて、社会を総体として、秩序とカオスという社会システムがとり得る状態のスペクトラムの両端から、その間の狭い回廊にある「カオスの淵」に誘導することにあると考えられる。これはDXが目指すべき未来として自分も繰り返し主張してきたことと重なる
カオスの縁takker.icon
@fpocket
E. Glen Weyl, Audrey Tang, ⿻ Community (寄稿), "⿻ 數位 Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy" (2024).
The attached image is translated by GPT-4o.
https://gyazo.com/8ad2f91939032dabac4e282643b4810c
@fpocket
社会を総体として「カオスの淵」に誘導することで期待されるのは、引用画像に端的に述べられている通り、「全体が部分の総和以上になる」ということである。Collaborative Technology and Democracyの核心も「生成的効果」が創発する構造の数学的(圏論的)表現にあるように見える。
全体が部分の合計よりも小さい……のことではなかった。逆かtakker.icon
全体が部分の総和以上になる
⿻數位 Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy
@fpocket
E. Glen Weyl, Audrey Tang, ⿻ Community (寄稿), "⿻ 數位 Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy" (2024).
https://gyazo.com/5c58af3a55a248a20143ba74a635fece
@fpocket
Kauffmanも部分組織の態様と適応度の関係についてNKモデルを使用してシミュレーションしている。Kauffmanは、定性的説明として、部分組織の数が少ない(中央集権寄り)になると、適応度の局所的な丘にトラップされて、より高い山に向かって動き出しにくくなるという説明をしている。
@fpocket
E. Glen Weyl, Audrey Tang, ⿻ Community (寄稿), "⿻ 數位 Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy" (2024).
https://gyazo.com/1a8f286412a350373305656b8428b1dd
@fpocket
複雑系、カオスの淵、自己組織化臨界など、本書のコアになる考え方が記載されている。
@fpocket
E. Glen Weyl, Audrey Tang, ⿻ Community (寄稿), "⿻ 數位 Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy" (2024).
https://gyazo.com/44c6ee9cb5ae1fe179b8e2703f7588c4
@fpocket
post-symbolic communicationを可能にする技術において、カンブリア爆発が起きる岐路に立っているというのは自分も同感で、GFMsが社会に与える最大のインパクトはその起爆剤になるという点だと見ている。GFMsの内的言語(ひいては脳の内的言語)への理解を深めることが重要と考える所以である。
@fpocket
E. Glen Weyl, Audrey Tang, ⿻ Community (寄稿), "⿻ 數位 Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy" (2024).
https://gyazo.com/d02782f9b903d7261e7b239f1590f059
@fpocket
GFMsによって、一人の人間の内部だけではなく、人間同士の間でもpost-symbolic communicationが可能になり、それによって通信におけるbandwidthが劇的に増えると見ている。社会が総体として「脳」のように振る舞い、意思決定するようになると見ることもできる。
@fpocket
E. Glen Weyl, Audrey Tang, ⿻ Community (寄稿), "⿻ 數位 Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy" (2024).
https://gyazo.com/58d8e3e9c1bab4b5dbfb7b75252b98d4
@fpocket
人間の脳のネットワークとGFMsのネットワークの両者を編み込んだ総体(social fabric)によって、公衆の意思決定が適応的になると考えられる。この見方は、monolithic AIによって世界が支配されるという一元論者的な世界観とは全く異なる帰結を社会にもたらし得る。
@fpocket
E. Glen Weyl, Audrey Tang, ⿻ Community (寄稿), "⿻ 數位 Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy" (2024).
https://gyazo.com/a66c8579ada8c2007504d3851b0a900b
@fpocket
GFMsの内的言語によって、これまで表現できなかったシステムの状態を表現するための”scientific measures”(具体的には基底と言い換えられると思われる)を手にすることができると思われる。それにより自然言語では不可能だったコミュニケーションが可能になると考えられる。
@fpocket
E. Glen Weyl, Audrey Tang, ⿻ Community (寄稿), "⿻ 數位 Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy" (2024).
https://gyazo.com/5783a2e501429a227758358b3cf8a540
@fpocket
自然言語中心に見ていると気付きにくいが、自然言語にコード化される情報量は、人間が環境とやり取りしている情報量と比較すればかなり小さいという見方は、自然言語以外のコミュニケーションの重要性を考える動機になる。
@fpocket
E. Glen Weyl, Audrey Tang, ⿻ Community (寄稿), "⿻ 數位 Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy" (2024).
https://gyazo.com/c82c41a15b2a8f4539167cb98f5e742c
@fpocket
多元論的な世界観で社会を捉えてシステムを再構成するには、そのデジタル表現が可能な情報システムが必要であると考えられる。
@fpocket
E. Glen Weyl, Audrey Tang, ⿻ Community (寄稿), "⿻ 數位 Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy" (2024).
https://gyazo.com/27430770904c88dffe10ad87836fc769
@fpocket
多元論的な社会をデジタルで表現するには、identityをいかに表現するかということが課題になる。その課題を解決する際に、identityがsocial fabricにおけるsocial circleで編み込まれた交差点として表現されるという見方は重要である。
社会的な交差点
@fpocket
E. Glen Weyl, Audrey Tang, ⿻ Community (寄稿), "⿻ 數位 Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy" (2024).
https://gyazo.com/2d03d41654e6120b5a34a1fd2026b4c4
@fpocket
Collection of ThingsではなくNetwork of Processesのパラダイムで見れば、現実は「関係」でできており、社会的な集団も個人の集合ではなく、関係の織物ということになる。
@fpocket
E. Glen Weyl, Audrey Tang, ⿻ Community (寄稿), "⿻ 數位 Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy" (2024).
https://gyazo.com/c121c93e63558e4f4385ab69d23eba89
@fpocket
一元論的な意味論に基づく情報システムでは、文化による意味の違いを乗り換えられず、システムは分断される運命にある(実際そうなっている)。多元論的な意味論の情報システムが実現できれば、多様性を燃料として、生成的効果(全体が部分の総和以上になる)を増やすエンジンにすることができると思われる
@fpocket
E. Glen Weyl, Audrey Tang, ⿻ Community (寄稿), "⿻ 數位 Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy" (2024).
https://gyazo.com/acd3d0437a204d9f2db545d31ebedba6
@fpocket
現実の「意味」というのはcultureによってもたらされるものであり、social contextから切り離された現実は文字通り「意味」がない。主観でも客観でもない間主観的な現実を表現可能な情報システムを開発する必要があり、そのためにはデータの表現方法から作り変える必要があると思われる。
間主観性
@fpocket
E. Glen Weyl, Audrey Tang, ⿻ Community (寄稿), "⿻ 數位 Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy" (2024).
https://gyazo.com/f51980397e5136e7605839dd3221ddb9
@fpocket
多元論的な意味論のシステムは、Network of Processesのシステムであり、そこではもはや、storage,computation,dataと分ける見方は過去のものになると見ている。dataはprocess間のインターフェースにprocessの相互作用の間だけ存在するに過ぎず、storageとcomputationは分離できないと思われる。
@fpocket
E. Glen Weyl, Audrey Tang, ⿻ Community (寄稿), "⿻ 數位 Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy" (2024).
https://gyazo.com/450b98ca5bd73c71d9ef2b938cc87cf6
@fpocket
現在の情報システムの限界は、データが、現実をある側面に射影した影を記録しているに過ぎないということだと見ている。影を繋ぎ合わせて現実の意味を(GFMsなどで)復元するのは、膨大な(究極的には無限の)データと計算資源が必要で、それがIT分野の寡占構造をもたらす要因でもあると考えている。
影をつなぎ合わせて現実の意味を復元する
@fpocket
E. Glen Weyl, Audrey Tang, ⿻ Community (寄稿), "⿻ 數位 Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy" (2024).
https://gyazo.com/0797b01985a967ed862fe906a852bd2e
@fpocket
情報システムの限界が、中央集権や寡占などの一元論的な社会構造や思想、理念を規定してしまっている側面があると考えられる。
@fpocket
E. Glen Weyl, Audrey Tang, ⿻ Community (寄稿), "⿻ 數位 Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy" (2024).
https://gyazo.com/0962ceeafbedcaa7a61ae5edbd799120
@fpocket
資本主義は、全ての価値を貨幣という一元的尺度に還元する点で一元論的であり、拡大すればするほど価値体系の差異が消滅して生成的効果は減少していくと見ている。社会を死に至らしめる病のようなものだ。bandwidthを広げて多元論的な価値体系の間の交換様式を回復するのは価値ある挑戦と思う。
一次元尺度換算
資本主義は拡大すればするほど価値体系の差異が消滅して生成的効果は減少するtakker.icon
@fpocket
E. Glen Weyl, Audrey Tang, ⿻ Community (寄稿), "⿻ 數位 Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy" (2024).
https://gyazo.com/2e7b12a1feb08cf12d2fc5d78aa2f3a5
@fpocket
一元論的な価値体系のもとで目的関数を設定して最適化するというのは魅力的な道であるが、それこそが”root of all evil”である。選択と集中が何をもたらしたかを見れば明らかだろう。
@fpocket
E. Glen Weyl, Audrey Tang, ⿻ Community (寄稿), "⿻ 數位 Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy" (2024).
https://gyazo.com/1fab81647ed0f23f4d13a2967745a439