ジャグリング批評の三本柱
ジャグリングをこんな感じで、すでにあるジャグリングを解体して理解していこうぜ、ということ
ジャグリング批評の三本柱
俺たちで勝手に考えようぜmiyamonz.icon
練習
道具
表現
芸道論・スポーツ科学と関係?
ジャグリングってスポーツやダンスよりも「習得」の実践の場としてかなり大きい
これはジャグリング道具としていい、とか
新しい道具作りとか
対称性が崩れている方が比較的「良い道具」になる
対称だと動きが出てきづらい
道具と身体の硬さ・柔らかさの関係
腕が柔らかいので、クラブは硬い方がいい
Jayとかが既存の道具を疑う姿勢
既存の普通の日常品をジャグリング道具として批評
表現批評
「技」とはなにか
ジャグリングという営為をどう認識するか→技に分解して理解
「観る側」をどう捉えるか
一般的な「表現」技法の次元
ルーチンとか
なんでルーチンは魅力的なのかとか?
練習・道具でのイノベーションがどう影響するか
大道芸とか それ以外とか
見る側もジャグリングの練習という身体の経験があると、感想が変わるという現象もここで分析されてほしい
「良い技」はある
それは表現の問題?
ジャグリングによってのこる「痕跡」の問題
表現?違う?
逆に、「表現」という言葉の誤解があるからそこを解きほぐす行為も含めて、表現批評が大事じゃん
だから表現批評が3めでいいよねということ
練習批評は身体が改造できない前提
身体は改造できる!!mimizu.icon
わたなべひさし
vtuber
VRなどを考慮に入れると、「身体」批評・「世界(物理法則)」批評が可能か
VRはどの分野と掛け合わせてもヤバくなる
根本を崩して批評ができるようになる
ジャグリング以外のどの事でも
ジャグリング「身体」批評jjkohei.icon
球体へのアプローチにおいて、どの動物の身体が面白いか
ゾウ、アシカ、イカ、甲虫
人間の身体の構造はジャグリングをするのに最適化されているのか
ジャグリングに最適化された「身体」とは?
現在のジャグリングは人間(ジャグラー)の眼の位置にどれだけ規定されているのか?
普通に気になる
意外と直接的な影響はないのか?
(眼の位置に腕の可動域などが対応していて、その腕の可動域などに規定されているだけ?)
腕の本数とかかなり大事なんじゃない?知らんけどmiyamonz.icon
現実的に今の人間の身体でやるジャグリングを考える時、本当は可能なのに、眼の位置のせいで思いつかれてないジャグリングってないのかな?jjkohei.icon
なるほどmiyamonz.icon
ジャグリング「世界」批評・「環境」批評jjkohei.icon
重力などの物理法則
湿度・温度とジャグリングの関係
気圧とジャグリング
環境はVRのさらに上なのかもmiyamonz.icon
そんで、ジャグリングの外側からジャグリングに影響を与えるものっぽいので
考えるべきだが、
練習道具表現とはまた別なんじゃないだろうか
この3つは「ジャグリングらしさ」から来ているものに思えるので
全体的に「批評」っていうか「研究」では?jjkohei.icon
「身体」、「環境」云々がそうなだけ?
新規のコンセプトを打ち立てたりするのは研究にはあって批評にはなさそうmiyamonz.icon
ただ、だいたい一緒だなというのはわかる
「ジャグリング研究の三本柱」でも良いと思う