タスク管理と生産性
英語圏では、タスク管理の話題は、概ね productivity の文脈で参照される。
AppStoreでも「生産性向上」とかそういうの。
まず、以下のツイート。
個人のプロダクティビティを考えたり(いわゆるタスク管理)、そのシステムを作ったりしていた私ですが、それより体調やメンタルを整えて、目標に注ぐエネルギーを高めることが大事なのかと思った今週
ここでは二つの区分がある。
個人のプロダクティビティを考えたり(いわゆるタスク管理)、そのシステムを作る
体調やメンタルを整えて、目標に注ぐエネルギーを高めること
上記のツイートでは、前者よりも後者が重要だと言われている。
次いで、以下の書き込み。
私にとって”プロダクティビティを考えたり(いわゆるタスク管理)、そのシステムを作ったり”することの中に”体調やメンタルを整えて、目標に注ぐエネルギーを高める”ことが含まれています。
上記のツイートでは、前者の中に後者が含まれていると言われている。
整理しよう。
まず、最初のツイートで意識的に対比されているものに目を向ける。
個人のプロダクティビティを考えたり(いわゆるタスク管理)、そのシステムを作る
体調やメンタルを整えて、目標に注ぐエネルギーを高めること
「個人の生産性について考えたり、それを支える"システム"を作る」こと。この表現が、わざわざ後者と対比されているのだから、この「システム」について、後者が含まれていないのは自明。たとえば「生産性」を高めるために、時短になるようなことを考えたり、情報をスムーズに処理できるようなシステム(仕組み、ツールの運用)を作ることには、「体調やメンタルを整えて、目標に注ぐエネルギーを高めること」は含まれていない。
ようするに、ガワ・器の話から、中身の話への移行。
そればかりやっていても、ダメではないか、という議題提出であろう。
二つのツイートの違いは、「システム」(あるいは「システム作り」)という言葉の含意。
最初のツイートはガワの話に注目している。
ガワばかり見ていても意味がないのでは、という提案なのだから当然。
次のツイートは、「システム」の中に、具体的な中身が含まれている。
システムが「何」を管理するのかも含んでいる。
次に、「個人の生産性」について。
前者は、個人の生産性において"体調やメンタルを整えて、目標に注ぐエネルギーを高めること"が入っていないのは、対比されているツイートからも自明
後者は、それが含まれている。
ようするに、「個人の生産性」はどのように定義されるのか、という話の中身に大きな違いがある。
日本語のやりとりで、非常に起こりがちなすれ違い。
前者における個人の生産性は「体調やメンタルを整えて、目標に注ぐエネルギーを高めること」とは別に考慮される事柄である。
概ね以下のような要素だろう。
やることの把握・抽出
優先順位の決定
時間の記録
*AppStoreの「仕事効率化」も、概ねこういう機能のツールがラインナップされている。
上記について考え、それを支えるシステムを作っているだけではダメなのではないか、というのが前者のツイートの主旨。
一方後者のツイートは、そこに「体調やメンタルを整えて、目標に注ぐエネルギーを高めること」を含めて「個人の生産性」を検討することが必要か、というのが主旨。
「生産性」が、工業社会的なまなざしで捉えられるならば、「体調やメンタルを整えて、目標に注ぐエネルギーを高めること」が含まれないのは当然である。機械はメンテナンスの必要があっても、稼働しているならば常に一定のアウトプットを期待できるし、「生産計画」もそうしたアウトプットの平均的な期待値から策定される。
一方で、その「生産性」が、人間を主眼にしたまなざしで語られるならば、「体調やメンタルを整えて、目標に注ぐエネルギーを高めること」が含まれる。そして、それが含まれると、話は大幅に変化していく。
「体調やメンタルを整えて、目標に注ぐエネルギーを高めること」をしなければならない、ということはそれをしなければ、体調やメンタルを整えなければ損なわれるし、目標に注ぐエネルギーを高めないと高まらないことが意味される。
そして、そのような意図が完全に達成されるならば、人間を機械に置き換えることはできるが、その実行主体が人間で対象が人間である以上、そのような意図の達成も完全にはいかない。
目標に注ぐエネルギーを高めるための行為を行うエネルギーを高めるための行為を行うための……、という無限後退を考えればいい。ようは「できないことは、できない」という状況がある。
そうすると、「生産計画」というものが砂上の楼閣であることに気がつかざるを得ない。
ある程度近接することはできるが、機械のそれと同じ精度には至れない。
至れないから、過労死する人が出てくるのである。
後者の「タスク管理」に関する認識はごもっともだと思うが、それは実はかなり大きい認識の変化と、方法論および計画の扱い方に変更を迫るものだと思う。
わざと大げさな話をしているのではなく、これは実際にそうなのだ。
「生産性とは何か」というのは、産業の変化、資本主義の台頭、何でも数字ではかる社会、人間疎外といったものに関係する大きなテーマなのだ。