9830_「余白」とは、あるものとあるものの「間合い」
外構工事を終え、外観撮影をしたいと思っていた矢先、12月6日は、この日を逃せば後悔する程の青空でした。急遽、午後からの予定を変更し、この「黒衣の2階建て」に向かいました。到着すると、私は「ハッ」としたのです。そして、呟きました。「なるほど、これがしたかったのか... 」。
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黒衣(くろご)とは、『歌舞伎(かぶき)で、役者の後見役。また、後見役が着る黒い装束』。黒衣のように、屋根も外壁も真っ黒な佇まいです( 2017.12.07) hr.icon
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『住まいてさんの求めることを、いかにこの敷地に建てるか』から、
1棟の住まいの設計は始まります。たくさんの図面を書くのも、
模型まで制作するのも、そのことを追求したいからです。
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スタート時点では、私は自覚を持って、意識的に進めていきます。
ですが工事が進むにつれ、建物自身が命を持ち始め、
建物自身が建物自身を、創り出していくように感じてくるのです。
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そうなると私は、その後をついていくだけになり、
「この建物がどう竣工するのか」が、わからなくなるのです。
「なるほど、これがしたかったのか... 」の、省略されている主語は、
『私』ではなく、『建物』なのです。
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建物は『いかに余白をつくりだす』かを、追求していたのでした。
この建物の外部、内部、それらの細部の納まりに至るまでも。
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「余白」とは、『あるもの』と『あるもの』の「間合い」です。
『実際に描かれているもの』と、『心の中に描かれているもの』の、
「間合い」として、存在しているのです。
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余白には、見る者の心象が描きだされる。
禅画や俳画には、「余白」があるからこそ面白いのである。
出江寛『数寄屋の美学』鹿島出版会 1996
https://gyazo.com/cc1649b6904c9ab3bf761eebf6e928fa
何も書いていない「セヌトコロ」が、
実際に描かれているものと、
心の中に描かれているものとの
「間合い」として存在しているのである
出江寛『数寄屋の美学』鹿島出版会 1996
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『実際に描かれているもの』とは、
建物です。実体としての、この建物です。
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対して、『心の中に描かれているもの』とは、
住まいてさんだけにとどまらず、ここを訪れる人たち、
ただ前を通りすぎる人たち、そして工事に携わった私たち、
あらゆる人の心の中に、描かれているものです。
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「余白」によって、建物と私たちは、繋がり合うことができるです。
建物のほんとうの価値は、「余白」にこそ、あるのかもしれません。
私はようやく、この場に及んで、そのことに気づいたのでした。
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