9461_深い森の中のブルーシートは、切り妻屋根の悲しい「住まい」
東京都東村山市にある、国立療養所多磨全生園の中を歩きました。園のはずれの森の中に、ブルーシートで包まれた切り妻屋根を見つけました。この建物は1952年に建てられ、子どもたちが共同生活を強いられていた、悲しい「住まい」なのだそうです。
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国立ハンセン病資料館(東京都東村山市)で開催された「ハンセン病体験講話」での講話者の方が、ここで生活していたと聞いて、私はひとり、ここを訪れました。
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全生園には多い時に、30名以上の子どもが入所していたそうです。子どもたちは、いくつかの「少年少女舎」に分かれて生活し、このブルーシートの建物は、そのひとつの「百合舎」でした。この舎で女の子たちが、共同生活をしていたそうです。
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講話者の方が17才の時に、ここで生活することになった時、ここでは、大人の男性入所者が寮父、女性入所者が寮母となるので、「お父さん」「お母さん」と呼ぶ様に、指導されたそうなのですが、なかなか、そう呼ぶことができなかったと、お話しされていました。
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このことだけではなく、たくさんの辛い思い出がありすぎて、ここを出てからは、2度と来ていないし、来たくないと言われていました。この舎の隣りには、近年、修復保存された別の舎があるのですが、講話者がこの舎を修復保存してほしくないと、話されたのを聞き、建築の仕事をしている私の、残念に思ってしまう気持ちは、とても無責任なものであると、すぐに気づきました。
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傍観者の私には、ブルーシートが美しく見えるだけなのですが、ブルーシートの中には、当時の子どもたちの想いが、今でもたくさん詰まっているのかもしれません。突然の発病をきっかけに、ひとり親元を離されて、ここでの共同生活を強いられた、理不尽な想いがです。その年齢の頃の自分を思い出し、講話者の苦難を想像してみました。
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また、この講話者の方が、この苦難と向かい合っていた年齢は、ちょうど、私の娘くらいの年齢です。突然の発病をきっかけに、ここに子どもを連れてこなければれならない、親としての気持ちも想像してみましたが、それでも私には、深い森の中のブルーシートが、ただただ、美しく見えるだけなのでした。
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