ポスト・インターネット
net.art
ハッカー文化、アクティビズム、アナーキズムといった政治的文脈が強く関係していた感覚
https://gyazo.com/39df2ea02ae0db83e3128d515a4fb6ae
オンラインとオフラインの区別がつかない、その区別が成立しないという意図の発言
その後2011年に、単に「インターネットの後」という意味で用いるべき言葉になったと書く
単にインターネット後という意味での「ポスト・インターネット」への変化のリアリティー
https://rhizome.org/static-media/uploads/image4_298qesq.pnghttps://rhizome.org/static-media/uploads/image11_jn88eOb.png
地明かりが強い展示に
すでに廃れてしまったテクノロジーのデバイスをGoogle 画像検索し、ノートパソコンのモニターに表示。それをシャープペンシルで紙になぞって描いた作品。
マリサ・オルソンは、こうした自身の作品のあり方を含めポスト・インターネットと呼んだ。この作品について、「私達が忘れてしまったものをインターネットは覚えている」と言っている。
また、このプロセスは、かつてのカメラオブスキュラやオーバーヘッドプロジェクターなどの、ドローイングを補助する光学装置に続くものだとも述べている。
インターネットからやってきたものを紙に移していく過程
カメラ・オブスキュラは発展させられている
閉じている 人間の眼球を
VR? 外界のものを取り入れる
カメラ・ルシダは忘れられている・・・・
閉じていない
AR? 全部を重ねている
pdfで読める
反権威
アーティストが作ったということを解体したい姿勢
03:50〜
詩
net.artのユートピアを作ろうとしていたそれに対して・存在論的なテーゼをインターネットになぞらえている
彼らの存在がインターネット上にあるものだけで構成されている
インターネット史上最も悪名高き女性
https://www.ntticc.or.jp/ja/feature/2012/Internet_Art_Future/Image/wp04.jpg
加工された結果が彼にとってのフィニッシュになってる
展示されたそれが
我々が撮った写真はアーカイブで振り返りでしかない
画像が主従の従でしかない
が、彼の展示は本質的なところを見れない
その後の記録写真が作品の完成形で本質なのではないか
彼が考えてたことはここで読める
new jpgs
ドキュメンテーションを配布していて、それを改変してパーカーに送るとサイトに公開されていく仕組み
どこまでが現実なのか判別できない
多分森の中まではあった?
そこからフォトショ芸?
珍奇なコラ画像や彫刻のような作品が投稿され続けている
展示されてるけど全部フォトショで合成されている
物質中心主義のアートマーケットへの批判
インターネット経由の我々にとって一点ものへの相容れなさ http://media.rhizome.org/blog/3406/survey1.jpg
リブログされてものとして成立する形にした
短い間しか成立しない作品を展示
https://64.media.tumblr.com/4730e6d5a466da297872c0766aeb30d1/tumblr_mnl362y9YK1qzcdbeo1_500.jpg
かっこいいイメージ、の速度感を展示でやる
彼らにとってはかっこいい写真が撮れれば良い・Tumblrに上げることができれば良い
実空間なら不可能・インターネット上なら成立する作品