動物化するポストモダン
第一章
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他方で、どちらかといえば反権威の空気が強いオタクたちには、オタク的な手法以外のものに対する不信感があり、アニメやゲームについてオタク以外のものが論じることそのものを歓迎しない。現代思想の学術誌で論壇に現れ、出自的にはサブカルチャーのセカイから遠い筆者は、この点でも一部から反発を受けてきた。つまり、簡単に言えば、一方にはオタクなどにそもそも価値を認めない人々が、他方にはオタクについては特定の集団だけが語る権利をもっていると考える人々がいて、その両者のどちらにも加担しない立場を取るのはきわめて難しかったのだ。
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オタク系文化の構造には私たちの時代(ポストモダン)の本質がきわめてよく現れている、という筆者の考えが、少しでも多くの読者を納得させ、それぞれの立場での世の中の理解に役立てば、これに越した喜びはない。
オタク系文化としている理由として、非オタクなるものは不毛な議論で、突き詰めても各人のアイデンティティを賭けた感情的なやり取りしか出てこないと説明 「七◯年代以降の文化的世界」のことをポストモダンと呼ぶのだ、と大雑把に理解してもらえばそれでいい。
onmk.iconおぉ
大塚英志が物語消費論で二次創作の存在意義について歌舞伎や人形浄瑠璃で用いられるセカイや趣向という概念を用いて分析している オタク文化は国境を超えて愛されていると説明
オタク文化の源流は戦後アメリカから輸入されたものでどう国産化するかという換骨奪胎の歴史がオタクの歴史ですよー アメリカ劣等感の反転を優位と言い張る欲望はオタク文化age論者の間にみられますよー
ポストモダンがジャーナリスティックに流行った事実
第二章
オリジナルとコピーの区別が弱くなる=原作とパロディの関係を等価値で消費するオタクの価値判断
エヴァの製作会社が自らパロディをやっているように生産者にとってさえオリジナルとコピーの区別が消えている
onmk.icon消えているのか?
先行作品のシミュラークルとして原作が作られそのシミュラークルのシミュラークルが同人活動によって増殖
無数の模倣と剽窃の連鎖の中でオタク作品は生み出されているという指摘
オタク系文化において個々の作品は大きな物語の入口の機能を果たしているにすぎない
オタク系文化においては消費者が評価し買うのは設定や世界観
現実には、本物の商品は大きな物語でもかかわらず、その断片である小さな物語が見せかけの商品として売られている onmk.icon納得はする けど腑に落ちるようで腑に落ちないような 非オタクなるものがあまり言われていないからなんともだけど語るべきものが多いが故に小さな物語を売っているようにも思える 現代では別にオタクと言い難いものも小さな物語を売っている気がする オタク的消費の方法を類推と文脈の接続による脳汁出るアレ、として 語るべきものが多すぎるが故に断片を売らないといけない みたいな説明だとしっくり来る?
東:サブカルチャーのみならず~ポストモダンの現理論としての説明も有効だと説明
読み込む深層の分割
onmk.iconんま~やんわりと納得してしまいますなあ それが #ポストモダン なのかは知らんが 強いて言うのであればそもそも情報に強弱はないのではと思いますが、これは後で説明がなされると思うので一旦放置
設定(大きな物語、深層)を手に入れればそこから無数に二次創作できる
オリジナルの作品=シミュラークルが無秩序に生えてくるわけではない
データベース=設定がありその読み込み方によって原作もできれば二次創作もできるという減少
オタク系消費者はポストモダンの二層構造に極めて敏感
シミュラークルが宿る表層とデータベースが宿る深層
3 大きな非物語
赤軍という物語とオウム真理教という物語
コミックやアニメの知識や同人活動は全共闘世代にとっての思想や左翼運動ときわめて近い役割を果たしていた
大きな物語の凋落とその補填
大きな物語を必要としない世代の登場
80年代とは逆に90年代は原作の物語とは無関係にその断片であるイラストや設定だけが単独で消費され その断片に向けて消費者が自分でかってに感情移入を高めていくというタイプの消費活動が台頭する
4 萌え要素
キャラクターの物語より先にキャラクターが出来た
本来なら作品として独立して語られる物語は、ここではクリアファイルだのマグカップだのと同じレイヤーに位置している
余剰品
造形
(作家性を排除するかのように)オタクが萌えやすい造形をサンプリングして作られている 消費者の萌えを効率よく刺激
萌え要素、記号にタグ付けして検索
キャラクターは誕生した瞬間から要素に分解されデータベースに登録される
分類がなければ新たにカテゴリーが作られる
オリジナルキャラクターのオリジナリティすらシミュラークルとして存在しない?
onmk.icon見える表層がタグとして充実しているだけであり潜在化している部分は多いよな 別に全部がタグになっていないと思うし やっぱり記号とアクセスできるデータベースという関係に疑問は残る
綾波レイに酷似したキャラクターが多く発生するのは綾波レイらしさが萌えデータベースに登録されたから? onmk.icon綾波レイが萌えかというのは一つありますが
結構ポストモダン的消費活動ですよ〜
デ・ジ・キャラットを消費することは世界観でも物語でもキャラクターを消費することでもより広大なオタク文化全体を消費することである
ミステリも萌え要素と同じメカニズムで消費されるようになる
6 シミュラークルとデータベース
7 スノビズムと虚構の時代
人間が人間的であるためには、与えられた環境を否定する行動がなければならない。言い換えれば、自然との闘争がなければならない
消費者の「ニーズ」をそのまま満たす商品に囲まれ、またメディアが要求するままにモードが変わっていく戦後アメリカの消費社会は、彼の用語では、人間的というよりむしろ「動物的」と呼ばれることになる。
onmk.iconこの辺は勉強し直してまた読むところ
8 解離的な人間
※ギャルゲーを介してノベルゲーへ ギャルゲーはシコれるイラストを求めて攻略するだけのゲームと説明 Keyのゲームは、消費者にエロティックな満足を与えるよりも、むしろ、オタクたちに人気のある萌え要素を徹底的に組み合わせ、彼らが効率よく泣き、萌えるための一種の模範解答を提供するために作られている。
舞台設定は曖昧だが萌えの基本がきっちりしているから売れたと説明
したがって、彼らが「深い」とか「泣ける」とか言うときにも、たいていの場合、それら萌え要素の組み合わせの妙が判断されているにすぎない。
ノベルゲームの2層構造
キャラクターの画像とテキストと背景美術というデータベースが組み合わさると
ゲーム画面のシミュラークルとして目に見える形に
ものとしては、「マッドムービー」と呼ばれる映像作品が挙げられる。それは、アニメやゲームの画面を取り込み、適当な音楽に合わせて加工し編集して作られる短時間のビデオクリップであり、八〇年代の「マッドビデオ」と異なるのは、そこでの編集作業がほぼ完全にデジタル化され、結果として制作者の志向や動機が大きく変わってきた点だ。そしてそのなかでも、ノベルゲームの二次創作として作られた作品は特異な発達を遂げている。
(Airから吸い出した画像を使った再編の話、プラットフォーム移植の話)
マルチエンディングが実装されているのに毎回別の女の子を攻略することとか
9 動物の時代
3章 超平面性と多重人格
見える部分見えない部分がありますよー CSSがない時代で表示が崩れますよ
データベース消費はウェブの論理に似ている
onmk.iconこれなに言ってるかわからんかった
たとえば、本や雑誌は今後も出版され続けるだろうが、その構成や文体はますますウェブページに近づいていくだろうし、映画は今後も出版上映され続けるだろうが、その演出や編集はますますビデオクリップに近づいていくだろう
onmk.icon書き方が雑で24年後の現在と照らし合わせることができない
異なる階層が並列されてしまう世界
コンピューターのデスクトップのウィンドウのスナップショットで説明
この構造にはポストモダンの世界像がみごとに反映されている。ポストモダンにおいては世界の深層はデータベースとして表象され、表層に位置する記号はすべてその解釈(組み合わせ)として捉えられる。同じように、この例では、ファイルの深層は見えない情報として表象され、スクリーン上に表示された三種類の表現はすべてその解釈として捉えられている。したがって、そのシミュラークルの世界では、AがBを、BがCを、CがDを規定するといったツリー型の階層関係よりも、AもBもCもDもすべて同じ情報からの読み込みとして捉える並列関係のほうが好まれるのだ。
onmk.iconここまで話しててデータベースだと言っているのか そんなに二層の階層構造を持ち込みたいか このようなすぐれた作品について、ハイカルチャーだサブカルチャーだ、学問だオタクだ、大人向けだ子供向けだ、芸術だエンターテインメントだといった区別なしに、自由に分析し、自由に批評できるような時代を作るために、本書は書かれている。これ以降の展開は読者ひとりひとりの手に委ねたい。
動物化するポストモダンについて
ユリイカ 2001年2,3,5,7月号の掲載を改稿したもの
押井守映画でクラクラしてたところに若いオタク文化を持ち込んだ人間への謝辞
オタク系文化の根底には、敗戦で一度古き良き日本が滅びたあと、アメリカ産の材料でふたたび「擬似的な日本」を作り上げようとする複雑な欲望が潜んでいる という指摘