動物化するポストモダン オタクから見た日本社会
東 浩紀 (著), 2001
https://gyazo.com/82a2017fba8df71d5d9855ea4a0f1bb0
内容説明
オタクたちの消費行動の変化が社会に与える大きな影響とは?気鋭の批評家が鋭く論じる画期的な現代日本文化論。
キーワード:「データベース」「シミュラークル」「大きな非物語」「二層構造」「動物の時代」「萌え要素」「解離」
読書会(知人) : 2025-03-16, 名大図書館
目次
第1章 オタクたちの疑似日本
オタク系文化とは何か
「オタク系文化」
「コミック、アニメ。ゲーム、パーソナル・コンピュータ、SF、特撮、フィギュアその他、たがいに深く結びついた一群のサブカルチャー」
社会のオタク文化に対する否定的な受容
権威あるマスメディア、言論界からの嫌悪により、オタクについての公然とした議論は、「内容以前に」「抵抗にあう」ために、難しくなっている
社会からの否定的受容に対する反動としてのオタクたちの過剰な自意識
「進化した視覚を持つ人間」「ニュータイプ」(岡田斗司夫)
録画したアニメを1フレームずつ止めて、あるいは何回もリピート再生して、パラノイアックに画面を見て、いままでであれば見えなかったものをオタクたちは見てしまう
たとえば「このフレームからこのフレームは~~という特徴からして○○さんの原画で、つぎが××さんの原画だ」
「この一瞬映るモチーフは、"明らかに"△△からの引用でパロディとして使われている!」
→オタク以外がオタクを語ることへの反発
『動ポモ』の企図
上述の対立による困難を乗り越え、オタク系文化、日本文化の状況一般について、「当たり前に分析し、批評できる」ようにする。(それで「私たちの社会をより良く理解する」)
現在では、サブカル×人文系の概念を駆使して批評するサブカル批評は「当たり前に」なっている!
批評な困難なタイミングだからこそ、オタク文化を”敢えて”政治・社会、思想と結び付けて(パフォーマティブに)論を展開する
これは「パフォーマティブ」な文章だろうと思われるので(=ゼロ年代批評のマニフェストとしてある)、『動ポモ』の文章の一字一句をとりあげて揚げ足をとろうとするのは、あまり意味のあることではない
方法論
根拠:「オタク系文化の構造には私たちの時代(ポストモダン)の本質がきわめてよく現れている」
方法:オタク史を通時的に見るのではなく、オタク文化と同時代の社会との関係について共時的に観察する
オタクたちの疑似日本
ポストモダンとはなにか
かなり単純にいえば「現実がなにか分からない」ということ
<オリジナル / コピー>の対立から全面化した<シミュラークル>へ
東浩紀は、本書ではむしろ無秩序なシミュラークルではなく<シミュラークル / データベース>という対立を作って論じている
「切り貼り」といっても、単なる「引用」とは違う。(その意味では「切り貼り」は過去にもありふれている)
ポストモダンの時代においての「切り貼り」はリミックスやバリエーションの生成に近い。
Tumblrのリブログ
バロウズのカットアップ、フォールドイン
ダダイズムのコラージュ、アサンブラージュ
村上隆のレインボーフラワーちゃん
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日本では、より狭く取れば、大阪万博をメルクマールとして、70年代以降
日本(にっぽん)とオタク系文化
オタク系文化のもつ日本的なイメージ
アニメと日本画、フィギュアと仏像彫刻の共通点(村上隆)
モチーフの面での日本的なものへの愛着(『うる星やつら』など)
オタク系文化の源流はアメリカ
50年代から70年代
日本のアニメが発達させた独特の美学
リミテッド・アニメ
日本文化の背景にある敗戦の傷跡
日本が最先端という幻想
ポストモダニズムの流行とオタク系文化の伸張
アメリカ産の材料で作られた疑似日本
江戸の町人文化という幻想
「戦後処理」の、アメリカの「文化的侵略」の、近代化とポストモダン化があたえた「歪み」の問題すべてを包括して扱うことができる。
→政治やイデオロギーの問題とも関係している
※ここらへん、文字通りそのまま受け取ると、正直ほんとうか?と思うところもあり、本書がサブカル批評の”マニフェスト”であることを割り引いてもいい気がする
第2章 データベース的動物
オタクとポストモダン
物語消費
大きな非物語
萌え要素
データベース消費
シミュラークルとデータベース
スノビズムと虚構の時代
解離的な人間
動物の時代
第3章 超平面性と多重人格
超平面性と過視性
多重人格