メモリーマウンテン
この民話、AIの未来社会を想像し、高齢化社会の様々な問題を「SF的」に「未来のAI小噺」的に、ショートストーリとしても、AIを使って表現するモチーフとしては面白いなと思った。 ◎「姥捨て山」という日本の民話をしってますか。
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はい、「姥捨て山」(または「うばすてやま」)は日本の伝統的な民話の一つで、多くのバージョンが全国各地に存在します。これは一般的に高齢者への敬意と家族の絆をテーマとしています。
物語は、一般的に次のような内容で進行します。食糧が不足し、生存が困難な時代、ある貧しい村では高齢者を山へ連れて行き、そこで一人ぼっちにしてしまうという厳しい習慣がありました。これが「姥捨て」と呼ばれるものです。
主人公は一般的には良心的な息子で、彼は愛する母親を山へ連れて行く決断を迫られます。しかし彼は母親を見捨てることができず、母親を背負って深い山へと向かいます。
息子が山を登る際、母親は道々に落ちていく木の枝を拾っては後ろに落とします。息子は後にこれが自分の帰り道を示す目印になることを知ります。その後の物語はバージョンによりますが、一般的には母親の知恵と愛情によって家族が救われる結末を迎えます。
この伝説は高齢者への敬意、家族愛、そして生命への敬意というテーマを強調しています。
◎ではこの「姥捨て山」を新しい未来の話の元として選択します。
AIアシスタントがいる未来では、この話はどのように変化するでしょうか。可能性の一つを話してみて。
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もちろんです。「姥捨て山」の核心テーマである高齢者への敬意と家族愛、そして人間の倫理に焦点を当てた未来の話を以下のように展開することができます。
設定
未来の先進都市、人々は生活のあらゆる面でAIアシスタントに頼り、高齢者も自分の記憶と経験をデジタルデータとして保存し、後世に引き継いでいる。しかし、その過程での人間の倫理や感情が失われつつある。
あらすじ
主人公はある企業で働く若者で、その企業は高齢者の記憶をデジタル化するプロジェクトを推進している。その一環として、"メモリーマウンテン"と呼ばれる特別な施設があり、高齢者たちはそこで記憶のデジタル化プロセスを受ける。 主人公の母親も高齢になり、メモリーマウンテンへ連れて行く時が来る。しかし、主人公は母親の記憶を単なるデータとして扱うことに違和感を感じ始める。
施設に到着する道中、母親は生涯の教訓や思い出を主人公に語りかけ、AIアシスタントはそれをリアルタイムで解析して人々にとっての価値を算出する。 しかし、主人公は数字やデータだけでは母親の記憶の真実の価値を測れないと気づく。彼は施設に到着する直前で心変わりし、母親を家に連れて帰る決断をする。
まとめ
この話は、テクノロジーが進化する未来でも、人間の感情や倫理が重要であるというメッセージを強調します。AIアシスタントがいかに高度になっても、人間の心の奥深さや人と人との繋がりはデジタルデータで代替することができない、という教訓を描くことができるでしょう。
感想
sakai.icon[私の感想]
適当に作らせるのは、おもしろいかも。私にはない発想、視点。
nishio.icon
すごく面白かったです
現代の日本だと人は病院とかで医師や家族が見ている前で死ぬ
母を自宅で看取ったんですよね。今の時代では、かなり珍しいケース。母の準備、家族の理解、訪問診療、訪問看護、訪問介護、ケアマネさんの協力・・、多くのサポートを受けることが「偶然」と言いたくなるほどにあったことで可能になりました。でも本当に大変だった。sakai.icon
しかし「姥捨て山」の世界観だと、人は生きたまま山に行き、誰も見ていないところで死ぬ こういう死生観の変化が過去に起こったのだから、今後起こってもおかしくないだろとAIに言われている気持ち
確かにそうだよなぁ
面白かったinajob.icon
主人公はこの世界の価値観に反発したような描写になっているが、通常のこの世界の価値観・倫理観のようなものが気になる
死生観も多様であって欲しい。sakai.icon
+1inajob.icon
看取ることはある種のストレスなので、これを隠蔽するような流れが来るのだろうか・・?
そういう考えもあると思うけど、「身近に看取る」ということが普通に受け入れられる場所に私は居たい。
看取ることは本当に大変だけど、生きる力をもらえる。感謝とか。sakai.icon 「孤独死」という表現にも、いろいろ思うことはある。sakai.icon 「誰も見ていない所で死ぬ」ということを、「不幸」としてしまうことの疑問。