江戸川乱歩が明治40年頃に見た生人形の話
幕末の泉日吉の無残人形は有名だ。
「本能前に住居した人形師なり。この者いう霊生音等をつくるに妙を得たり。天然の初造るところの物を酵に見せたり。その品には土を限、首織り、獄限女の首をその髪にて木の枝に結びつけ、血のしたたりしさま、又亡者ををけに収めたるに、ふたの破れて半あらはれたる、又人を裸にし、数ヶ所に傷をつけ、暇のあたりに刀を突立てたるまま、総身血にそみて目を開ぢず、歯を切りたる云々」
月岡芳年の血みどろ絵と好一対をなす、江戸未期の無残ものだ。これに類する見世物が、私の少年時代、 明治 四十年前後には、まだちょいちょいあった。私の見たのは例の八幡のやぶ不知(メーズ)と組合せた見世物だが、薄暗い竹やぶの迷路を、おっか な び っ く り歩 い て行くと、鉄道の踏切の場面などがあって、今汽車に轢き殺されたばかりの血みどろの、 バラバラに離 れた五体が、線路の上に転がっているのだ。 いやらしく、不気味ながら、何と人を ひきつける見世物であったか。私は二度も三度もそこへ入ったものだ。