ヤーヴィン
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2007「対称的主権のマジック」
制限された主権という概念は自己矛盾であり非形式主義的である。〜啓蒙主義的政治が用いる道具箱の中のもっとも大きな誤った観念だと思われる。〜この無垢で大衆を惹きつける観念は現代の恐ろしい混沌の原因のかなりの割合を形成してきたと私は考える
根源的に確保された所有権は近代以降世界にほぼ存在したことがないとも。
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超知性的な宇宙人フナルグルの思考実験
フナルグルは不死であり、いかなる攻撃も通用せず、生殺与奪の剣を持つ。ただその他いかなる力能も持たず歩くことさえできなぬ、善悪の価値観が存在しない。同時に黄金を求めて利潤最大化する欲望のみ存在する、極めて資本家的な独裁者。
まず人間全員を金鉱山に働かせる。ただそのためには食料が必要、掘削機...といった形でレッセフェールが復刻し、課税する。勿論最大化する為には支払い能力にある程度課税額は依存する為、我々が富むほどフナルグルも富む。
かのビスマルクは「彼らには彼らの言いたい事を言わせておけ。私は私のやりたい事をやる。」と言い、必ずしも彼はそうしなかったが、フナルグルはそうするであろう。すると最小国家の必要性が必然的に生まれ、きわめてリバタリアン的な自由国家が誕生する。
創設的暴力や暴君放伐論といった君主制の脆弱性が、脱領土化し続けたことによってフナルグルという完全体に帰着するということ。
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対称的主権とは
支配者と非支配者の運命共同体的な同一性に基づく、シンメトリカルな共益関係となる。専制君主が常に合理的な意思決定を行う限り、主権独裁は民主主義と対比して、最大多数の最大幸福的に望ましい
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新官房学という地平
『アナーキー・国家・ユートピア』のユートピア観を対称的主権と自由なExitを用いて封建主義から専制君主に転換したということ。国家を企業:民衆を株主とし、投票によって選ばれたCEOが専制君主として利潤最大化に努める。民衆は株を売るように見放した国から移住するという社会観。
sinofuturism的:中国、香港、シンガポール、ドバイを新官房学的国家として評価している。
新官房学の由来
17〜18世紀の神聖ローマ帝国やプロイセンにおいて封建主義下の経世論として発達する。当時衒示的消費による財政危機に対して、収支監査・国税/国債・産業開発等を重商主義的に打開しようという系譜のもと発展した。
有機的連帯及び職業的分権化っぽく、機能的分化社会に近い気がする。
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木澤佐登志解釈
主権独裁も『政治神学』における近代国家におけるすべての重要概念は世俗化された神学概念にほかならないのアンチテーゼに見えるが無神論verアップデートではないか
原罪説において、悪なる人々を浄化し聖なる道へ導く神から主権を与えられた絶対君主。それに対しフナルグルやAGIなどを引き合いに出すヤーヴィン
これは彼らが否定する普遍主義の無神論バージョンであり、不幸な意識と言えるのではないか