メイヤスー
https://scrapbox.io/files/654e5ea31641cb001ccb9792.jpeg
カント批判
弱い相関主義・強い相関主義或いは主観主義的形而上学
プトレマイオス的反転
言い換えれば、近代科学は、私たちの世界すべてを数学的に定式化しなおすための、仮説的ではあるが思弁的な射程を私たちのうちに発見したのである。科学によるガリレイ=コペルニクス的な脱中心化については、かくして次のように言うことができるだろう―数学的に処理可能なものを、思考の相関項に還元することはできない。 「だが、ここである矛盾が、しかも実のところやや面食らわせるような矛盾が出現する」というふうに話は続く。要は、哲学者たちはカントが導入した思考における転回を「コペルニクス的転回」と呼んでいるが、それが意味するところはむしろそれとは正反対のものなのだ、と。
カントが導入した思考における転回で問題となっているのは、かつて不動であると考えられていた観測者こそが実は観測対象である太陽の周りを回っていることではなく、反対に主体が認識過程の中心に位置しているということだ、と。
つまり、近代科学に固有のコペルニクス=ガリレイ的な脱中心化は、哲学にプトレマイオス的反転をもたらしたのである。 質問1
a)「強い相関主義」。私の意見では、これは反−絶対主義の、したがって現代の反−形而上学の最も厳格な形式です。b)私が「主観的」と呼ぶ一つの形而上学。すなわち、反対に、今日最も流布している絶対的なものの哲学です。