バーリン
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決定論の非受容状態の理由と見解
彼は、われわれは決定論が正しいかのように話したり考えたりしてはいない―(本文から引用すると)「わたくしはここで、なにも決定論が必然的に誤っていると言おうとするのではない。ただわれわれは、それが真理でありうるかの如くには話もしないし、考えもしないということ」―ということを主張する。例えば、自由への信仰が幻想であるとしても、自由はとても根深く、広く浸透しているため、それが幻想だとは感じられない。言い換えれば、自由(あるいは選択、責任)の観念はわれわれの考え方にとても深く埋め込まれているから、その観念をまったく欠いた世界の人間としての自分たちの生活など、われわれにはまったく理解できない。とすると、われわれが単に理論においてのみならず、実践においても、自分たちの思考法や話し方を変えないかぎり、決定論の仮説は空虚なままにとどまる。すなわち、われわれが思考や言語を決定論の仮説に適合させようと本気で試みることは、今日においても、記録された歴史においても、ほとんど実行不可能なことがらなのであると論ずるのだ(引用)。そこでまずラプラスの悪魔の契機から論じる。 そして人間の意思決定のレイヤーから論じる。
そして下記のように結論づける
ヴォルテールやダランベールやコンドルセのような有力な思想家たちは技術と科学の進歩がそうした目的を達成するための最も強力な手段であり、真理と理性的自立を求める人間の鋭意と努力をそこない、くじく無知や迷信や妄想や圧政や野蛮にたいする最も鋭い武器であると信じた。
ルソーとマブリは反対に、文明制度自身が人間の堕落と自然からの阻害の主要な原因だと。(...)人為的な人間が自然的な人間を牢獄に押しこめ、奴隷として破滅させてしまったと考えたのである。
体型はまさに精神の牢獄であり、知識の領域に歪みをもたらすばかりか、巨大な官僚機構の設立をもたらす。この設立は、生ける現実の豊かな多様性や、型にはまらない不均整な人間の内面生活を無視して、現実の世界を構成する精神と肉体との結合には無縁のイデオロギー的妄想によって、それらを画一におしこめてしまうあの規則によってなされる。
無機的自然の領域においてあれほどの勝利をおさめたニュートン物理学と同じような方法を適用すれば、これまでほとんど進歩のなかった倫理や政治や人間関係一般の分野でも同じような成功がえられ、ひとたびこれが果たされれば、その結果、非合理的で抑圧的な法制度や経済政策は一掃され、代わって、理性の支配によって人々を政治的および道徳的不正から救い出し、知恵の幸福と徳の道につかせることができるであろうと信じられた。
ハーマンは、分析を用いることによって現実を歪める合理主義および科学主義を断罪する思想家の戦列の先頭にたつ。ヘルダー、ヤコービ、メーザー(これらの人々はシャフツベリの影響をうけた)、〔エドワード・〕ヤングおよびバークの反知性主義的攻撃がこれに続き、さらに、多くの国のロマン主義作家がこれらの人々に呼応するにいたる。その中で最も雄弁な代表者はシェリングであり、彼の思想は今世紀初頭、ベルクソンによって生々と再生された。シェリングは、反合理主義思想家の父であり、それらの思想家にとって現実とは、分析されえない流れ、継ぎ目のない全体であって、数学や自然学の静的で空間的な隠喩では説明できないものであった。解剖することは殺すことだというロマン主義の宣言は、ハーマンを最も情熱的で非妥協的な先駆者として十九世紀全体に及ぶ運動のモットーであった。(...)後に「疾風怒濤(Sturm und Drang)」と命名されるにいたったドイツのこの運動に与えたルソーの影響、特に初期作品のそれには深いものがあった。ルソーが直接的な想像力や自然的感情を熱烈に希求し、人間が文明に強制されて、本来の真の目的や必要に反して人為的な社会的役割を演じざるをえなくなったと告発したこと、もっと素朴で自発的な人間社会を理想とし、自然な自己表現と社会的分業や因習のいびつな人為性とを対照させ、後者が人間から尊厳と自由を奪い、人間の序列の一方の極に特権や権力や恣意を、他方の極に屈辱的な追従を増大せしめ、かくしてあらゆる人間関係を歪めてしまったと批判したこと、これらがハーマンやその弟子たちの胸を打った。
ヘルダーの次のような絶叫にもまして、全「疾風怒濤」運動の特徴を示す言葉はない。「私がここにいるのは、考えるためにではない。存在し、感じ、生きるためになのだ!」「心だ!暖かさだ!血だ!人間だ!生命だ!」