バーリン
1954『歴史の必然性』
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決定論の非受容状態の理由と見解
彼は、われわれは決定論が正しいかのように話したり考えたりしてはいない―(本文から引用すると)「わたくしはここで、なにも決定論が必然的に誤っていると言おうとするのではない。ただわれわれは、それが真理でありうるかの如くには話もしないし、考えもしないということ」―ということを主張する。例えば、自由への信仰が幻想であるとしても、自由はとても根深く、広く浸透しているため、それが幻想だとは感じられない。言い換えれば、自由(あるいは選択、責任)の観念はわれわれの考え方にとても深く埋め込まれているから、その観念をまったく欠いた世界の人間としての自分たちの生活など、われわれにはまったく理解できない。とすると、われわれが単に理論においてのみならず、実践においても、自分たちの思考法や話し方を変えないかぎり、決定論の仮説は空虚なままにとどまる。すなわち、われわれが思考や言語を決定論の仮説に適合させようと本気で試みることは、今日においても、記録された歴史においても、ほとんど実行不可能なことがらなのであると論ずるのだ(引用)。そこでまずラプラスの悪魔の契機から論じる。
われわれが行なったり経験したりすることはすべて、ある一定のパターンの一部である、ラプラスのいう観察者は(事実および法則についての適切な知識を与えられれば)歴史上のいかなる時点においても、人間の思想、感情、行為等々の「内的」生活上のことがらを含めてあらゆる過去および未来の出来事を正確に記述することができる、という命題は、これまでにしばしばひとびとの考えてきたものであり、そこからさまざまな意味が引き出されてきた。それが真理であるとの信念は、あるひとを失望落胆させ、またあるひとを鼓舞激励した。しかし、そのような決定論が真正の理論であろうとなかろうと、実際にその理論が人類の大多数の普通の思想を、いや歴史家や実験室外の自然科学者の思想をさえ、色づけるほどに受容されてはいないことは明らかであると思われる。
そして人間の意思決定のレイヤーから論じる。
なぜなら、もしそうであったら、その信奉者たちの言葉はこの事実を反映し、その他のひとびとの言葉とまるきりちがってきているはずであろう。われわれがつねに用いている(そしておそらく、なしではすませない)一群の表現がある。たとえば、「君はこれをすべきではなかったのだ(または、するには及ばなかったのだ)」とか、「どうして君はこんなとんでもない間違いをしたのだ」とか、「わたくしはそれをすることはできるがしたくはない」とか、「ルリタニア王はなぜ退位したのか。それは、かれがアビシニア王とはちがって反抗する意志の強さを欠いたからだ」とか、「最高司令官がそんな愚かしいはずがあろうか」、等々。この種の表現は、現実に行なわれたものとは異る選択肢の実現に関するたんなる論理的可能性より以上のものの観念を、明らかに含んでいる。つまり、個々人がその行為に対して責任あるものと当然みなされうる状況と、そうはみなされえない状況との差別についての観念を含んでいる。 というのは、だれも、われわれが現在、過去、未来における人間、また小説や夢のなかの人間に対して開かれている何通りかの行動の可能性のうち、どれがいちばんよいかという議論をよくやることを否定しようとはしないであろう。〜もしも決定論が人間の行為に関する真正の理論であるとすれば、これらの区別は、天体や生体細胞組織に道徳的責任を帰するのと同じように不適切なことなるであろう。これらのカテゴリーは、われわれが考えたり感じたりするすべてに、きわめてあまねく浸透しているから、それをないものと考えること、それなしで、あるいはそれと反対の枠組みのなかで、なにを、いかに考えたり感じたり話したりすべきかを理解することは、心理的にほとんど不可能なことであり、言ってみれば、正常の意味の空間、時間、数などがもはや存在しない世界に生きている風をするのと同様、実行不可能なのである。
そして下記のように結論づける
わたくしはここで、なにも決定論が必然的に誤っていると言おうとするのではない。ただわれわれは、それが真理でありうるかの如くには話しもしないし、考えもしないということ、もし真剣にそれを信奉したら、われわれの世界像がどのようなものとなるか考えてみることは困難、いやおそらく不可能であろうということ〜たとえ自由への信仰―それは人間が偶然的に選択し、その選択は必ずしもすべてが、たとえば物理学や生物学で容認されているような因果的説明によっては説明しつくされないという想定に立脚している―が、ひとつの必然的な幻想であるとしても、それはきわめて根深く、あまねく滲透しているものであるから、そのようなものとは感じられない。われわれが組織的に欺かれているのだと自分を説得すべく試みることもたしかにできる。しかし、この可能性に含まれているものを考え抜き、われわれの思考法や話し方を変えてそれを考慮に入れるようにしない限り、その仮説は内容空虚なままにとどまる。つまり、われわれがたんに理論においてのみならず実践においても、みずからに信じたり考えたりさせることのできるもの、できないものの証拠として、われわれの行為を見なしうるならば、そうした仮説を真剣に考えることすら不可能であることが分るのである。われわれの思考や言語を決定論の仮説に適合させようと本気で試みることは、現状および記録された歴史においての限りでは、ほとんど実行不可能なことがらである、というのがわたくしの言い分である。〜それゆえ、自由意志と決定論に関する古来の論争は、神学者や哲学者にとっては依然として真正の論争点ではあるが、その関心が経験的事実―平常的経験の時間・空間内における人間の現実生活―にあるひとびとの思考をわずらわすには当たらないのである。歴史家にとって、決定論は深刻な問題ではないのだ。
『反啓蒙思想』
ヴォルテールやダランベールやコンドルセのような有力な思想家たちは技術と科学の進歩がそうした目的を達成するための最も強力な手段であり、真理と理性的自立を求める人間の鋭意と努力をそこない、くじく無知や迷信や妄想や圧政や野蛮にたいする最も鋭い武器であると信じた。
ルソーとマブリは反対に、文明制度自身が人間の堕落と自然からの阻害の主要な原因だと。(...)人為的な人間が自然的な人間を牢獄に押しこめ、奴隷として破滅させてしまったと考えたのである。
体型はまさに精神の牢獄であり、知識の領域に歪みをもたらすばかりか、巨大な官僚機構の設立をもたらす。この設立は、生ける現実の豊かな多様性や、型にはまらない不均整な人間の内面生活を無視して、現実の世界を構成する精神と肉体との結合には無縁のイデオロギー的妄想によって、それらを画一におしこめてしまうあの規則によってなされる。
無機的自然の領域においてあれほどの勝利をおさめたニュートン物理学と同じような方法を適用すれば、これまでほとんど進歩のなかった倫理や政治や人間関係一般の分野でも同じような成功がえられ、ひとたびこれが果たされれば、その結果、非合理的で抑圧的な法制度や経済政策は一掃され、代わって、理性の支配によって人々を政治的および道徳的不正から救い出し、知恵の幸福と徳の道につかせることができるであろうと信じられた。
ハーマンは、分析を用いることによって現実を歪める合理主義および科学主義を断罪する思想家の戦列の先頭にたつ。ヘルダー、ヤコービ、メーザー(これらの人々はシャフツベリの影響をうけた)、〔エドワード・〕ヤングおよびバークの反知性主義的攻撃がこれに続き、さらに、多くの国のロマン主義作家がこれらの人々に呼応するにいたる。その中で最も雄弁な代表者はシェリングであり、彼の思想は今世紀初頭、ベルクソンによって生々と再生された。シェリングは、反合理主義思想家の父であり、それらの思想家にとって現実とは、分析されえない流れ、継ぎ目のない全体であって、数学や自然学の静的で空間的な隠喩では説明できないものであった。解剖することは殺すことだというロマン主義の宣言は、ハーマンを最も情熱的で非妥協的な先駆者として十九世紀全体に及ぶ運動のモットーであった。(...)後に「疾風怒濤(Sturm und Drang)」と命名されるにいたったドイツのこの運動に与えたルソーの影響、特に初期作品のそれには深いものがあった。ルソーが直接的な想像力や自然的感情を熱烈に希求し、人間が文明に強制されて、本来の真の目的や必要に反して人為的な社会的役割を演じざるをえなくなったと告発したこと、もっと素朴で自発的な人間社会を理想とし、自然な自己表現と社会的分業や因習のいびつな人為性とを対照させ、後者が人間から尊厳と自由を奪い、人間の序列の一方の極に特権や権力や恣意を、他方の極に屈辱的な追従を増大せしめ、かくしてあらゆる人間関係を歪めてしまったと批判したこと、これらがハーマンやその弟子たちの胸を打った。
ヘルダーの次のような絶叫にもまして、全「疾風怒濤」運動の特徴を示す言葉はない。「私がここにいるのは、考えるためにではない。存在し、感じ、生きるためになのだ!」「心だ!暖かさだ!血だ!人間だ!生命だ!」