ナンディ
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ガンディは近代の西洋を拒絶したが、その主たる理由はそれが持っている世俗的な科学的世界観にあった。彼にとって、超越の理論を持たなかった文化は、道徳的観点もしくは認識的観点からして、受け入れられるものではありえなかった。彼は、近代世界のイデオロギー的核心は知識の唯一完全に世俗的な領域であることを誇りとするポスト・ガリレオ的科学だということを知っていた。彼はまた、近代西洋が他のいずれにも勝る文化であるという見方を支えているのは、世俗化された社会を世俗的でない社会よりも優れているとするイデオロギーだということも知っていた。いったんそのイデオロギーを受け入れてしまうと、西洋の優越性は客観的評価となった。 /icons/白.icon
人間の文明は、搾取と抑圧に対するその意識を常に変革し拡大しようとしている。社会主義者が登場するまで、階級を抑圧装置と考える人はいなかった。フロイトが登場するまで、子どもを親から保護する必要があると感じる人はほとんどいなかった。西洋の環境危機の後ガンティが復活するまで、人間を解放すると思われていた近代の科学技術が人間を最も過酷に抑圧するものとなったと思う人はほとんどいなかった。 /icons/白.icon
科学技術の非中立性
非難されるべきは科学そのものではなく、特定の人々の使用だけであると断定することのアンチテーゼ
ナンディはフーコーのように近代科学が西洋で生み出した文化を伝統文化とは見做さず、その際を下記に求める。
近代科学はほぼ完全な隔離構造をすでに作り上げており、その中で自分自身は−彼らの苦しみも道徳的経験も全て含めて−整体解剖され操作され矯正されるべき物や過程として対象化される。
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人為的な苦しみの直接性を感知する力を保持することによってのみ、ユートピアはそれ自身と他のユートピアに対して、変わらない批判的態度を維持することができる
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