藤本タツキ
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蔓延されし世紀病
自らを主人公とした映画を撮る是非を問うたアグニに対し、トガタは恍惚とした表情を浮かべ、祝福者の陥る世紀病さながらの飢えと乾きを訴える。そして帰結される絶対的自由、それこそ映画のうちに赦された至高の圏域なのだ。 炎は薪がないと消える。人も炎も同じで、糧がないと生きていくことはできない。再生祝福者は長生きできるんだ。寿命も長いし、飢えも関係ない...この寒さ世界じゃ最強だよ。でもみーんな長く生きてくと感情を失っていって...そんで100歳くらいで自殺すんの。なんでかはわかんないんだけどね。私が300年生きれたのは、映画のおかげ...映画ってスッゲーの...いろんな物語があっていろんな主人公がいて、なんでもありなんだ。黒人が差別されて殺されても、薬のせい人生が狂っても...自分の子供を銃で撃ち殺しても!...面白ければなにしてもいいんだよ。映画は。
そうしたトガタと復讐を目指すアグニ。ベヘムドルグへと近づき、長年の彼岸へを目の前にしたアグニは「これで死ねる。(...)ドマを殺せば、生きる意味がやっとなくなる」とその旨を溢した。また、アグニによって広がるベヘムドルグの炎下をみてユダは「...よかった......よかった............疲れた...これで終われる」と心の奥底に眠った思いを溢す。
アグニの欺瞞
ルナが幸せに生きる事だけが、俺の糧だったから。ドマが残酷に死ぬ事を俺は糧にするしかなかった。(...)だから俺は生きる為に...復讐者を演じるしかなかったんだ。ドマを殺してもルナが生き返るワケじゃないのに、痛みをごまかす為に憎んで、自分が演技してる事を忘れてたんだ。本当のオマエは、どんな奴だった?悪い奴は死んでもいいと思って、でも目の前で誰かが死ぬのは絶対に嫌で...目の前の悪が許せなくて。目の前の死が許せなかった。そういう自分の正義があった。
ユダの欺瞞
ユダ「貴方はこの世界をどこまで知っているの...?」トガタ「ある程度は知っているよ。キミ達が氷の魔女とかいう架空の敵と戦ってる事は知ってるよ。それに、ベヘムドルグの王様は神様って事になってるんでしょ?存在しない敵と、存在しない王様がいるフリすんのは大変だろうな~。わかりやすい共通の敵作って、宗教で統率するってのはいい考えだよね。教養がないこの世界じゃ皆簡単に信じそうだし。地球が氷河期に入ったってマジの事言っても、希望がないもんね!私はキミの嘘好きだよ!面白いから!」
即ち〈救済の不在〉に絶望したアグニとユダは、ショーリューの如く自己欺瞞に身を包み演じるしかなかった。そしてその挙句死を冀求する両者はまさに世紀病そのものである。しかしアグニそのなかで、ロマン主義の如く憐れみの花を咲かせ、ある己が思いへと確信する。悪に蹂躙されし弱き生を「助けたい」と。しかしそれはフランス近世に起きた悲劇の焼き直しであった。それは己が正義が為に多くを殺し、悪しき伝統を育むアグニの行動を断口するドマによって掲示される。 ドマ「アグニ。今の人々に足りない物はなんだと思う。暖かい気候でも、大量の食料でも、神でもない。正しい教養だ。人肉で食いつないでるその村は、お前が死んだらどうなる」アグニ「餓えて死ぬ」ドマ「死なない。命は簡単に死なない。お前が死ねば人肉を食う文化だけが残る。そうなれば他の村を襲い殺し、人肉を作るか、仲間内で共食いをするだろう。自分の基盤に正しい教養がないから簡単に馬鹿になれる。そうなればそれはもう人ではない」アグニ「それはっ!そんなのお前の妄想だ!!」ドマ「妄想ではない想像だ。教養がないから先の事を想像できない。想像ができないから、間違った正義を振りかざしてしまう」アグニ「振りかざしていない...!」ドマ「振りかざした」アグニ「お前の教養なき正義が、ベヘムドルグを滅ぼしたのだ。これも想像だが、ベヘムドルグを破壊した後、こうやって後悔しなかったか?いくらなんでも殺し過ぎてしまった。罪のない人も一緒に殺してしまったとな。アグニお前を責めはしない。私は責める権利を持っていないお前を燃やしたのは正しい教養を持った私ではなく、間違った教養を持った私だからだ。
即ちファイヤマンとはルソーを読んだロベスピエールそのものだったのだ。「俺が悪役だったんだ。村を焼かれて、妹を焼かれて、自分にも相手に同じ苦しみを与えようとして、俺は何人焼き殺した?人を助けて、何いい気になってたんだ?」。こうしてアグニは更なる絶望へと堕とされる。ロマン主義は全体主義へ帰結されたように、アグニの信者は群衆の怪物と化す。ナチズムを彷彿とされるそれに教養をもって相対するドマの姿勢は、ポストモダン現代思想のようであった。 他にもサンは「俺は考えたんだ。このまま世界は寒い方が幸せなんじゃないかって。寒ければ、火の有難みを知る事ができるし、抱き合えば他人の温もりをより感じられる。アグニ様を感じる機会も増える」などと、天国の浄福に対し、涙を流すことができないなどと批判するロマン主義的世紀病患者シャトーブリアンさながらの狂気をみせ、トガタより道徳を剥奪されたスーリャはこの世界で世紀病を癒す絶対的自由の行使を謳う。 この世の理を果たすのさ。破壊と再生を。全ての事柄はいつかは朽ちて崩れ落ちる。私はこの崩れ落ちそうな世界にさっさととどめを刺したいんだ。政治でも、絵画でも、植物でも、肉体も、精神も、この世にあるものは全て一度破壊しないと再生しない。私の目的はね、一度この世界を終わらせて、次の世界を暖かくする事だよ。(...)旧世代の人達は氷河期で枯れた地球を捨てて他の星に行ったんだ。地球以外の星の人達はみんな容姿は平等で、常に幸福に覆われていて、攻撃性すら捨ててしまったもう枯れた人達だ。この綺麗な星々の光は枯れた文明の灯火なのさ。(...)最初は私が木になろうとしたんだだけど...ある思いが残ってて途中でやめた。ユダはなんでこんな世界で生きれるか聞いたよね。それは...私に糧があるからだよ。それの為なら一生だって生きてられるっていう糧が。(...)スターウォーズの新作が中途半端な所で終わったんだ。旧世代では小説や映画は見るのも作るのも禁止されてたんだよ。私は次の文明で...何万年時間をかけてもいい...!スターウォーズが作られた年代と全く同じ文化と教養レベルを作って、スターウォーズの新作を見る!これはその為の破壊だ!
ファイアパンチの各人物は、世紀病を癒す薪を欲する。アグニの生きる意味・目的、トガタの映画下に展開される絶対的自由、サンの病理=絶望と未分化なる治療=希望、そしてスーリャノのスターウォーズ。それに抗うドマの彼岸はロマン主義の狂気に敗北し、それに絶望するユダはただ終焉を望むタナトスを纏う。ゆえに、世紀病とそれに対する苦悩こそファイアパンチに遍在する閉塞感の正体であり、それに悩むわたしを魅了して病まない所以なのだ。