リー・エーデルマン
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主題
エーデルマンは本書で、保守にせよリベラルにせよあらゆる政治的なものの領野が、望まれるべき未来とイコール化されている「御子(the Child)」という形象を自らの限界にして構成されていることを指摘し、このような「御子」の保存とそれへの不可能な同一化を通じて私たちの生/性が構築されることを「再生産的未来主義」〔reproductive futurism〕と呼んで批判した。当該書の冒頭からその姿勢は明らかにされる。曰く、下記のように表現される。 政治的なものそれ自体がそのうちで考えられるようなロジックを、御子のイメージを画定する幻想が不変に形作っている
その意味で再生産的未来主義は、
政治的言説なるものへのイデオロギー的限界を課しており、そのプロセスにおいて異性愛規範の絶対的特権を温存するのだが、それはこの共同体諸関係の組成的原理へのクィアな抵抗の可能性を想像できないようにさせ、政治的領野の外部に投げることによってである
そしてエーデルマンは、たとえば同性愛者を現在の未来の秩序に迎合させるのではなく、このように社会の外部に追放されるクィアの現今の社会に対する否定性をラディカルに受け取るよう示唆する。
私たちはむしろ形象的に、「上記のどれでもない(none of the above)」へと投票してよいし、象徴界の法に応じる恒常的な否の至高性へと投票してよいのであって、そのことは当の法の定礎的行為、それの自己構成的否定に共鳴する
上記のように彼は述べており、ここでは法がクィアに課す否定を法それ自体に向け返すことが重要なのだ。クィア・ネガティヴィティの否定性は「どれでもない」ことの顕示に求められると言ってもよい。
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