シオラン
1990
“Pe culmile disperării, Bucureşti”
(
引用
)
本直に言えば、私はぜ自分が生きるのか、生きるのをやめないのかを知らないと言わねばならないだろう。おそらく鍵は、生の非合理性という現象にあり、これこそが理由なしで生を持続させる。そして生きるためには不条理な理由(motive absurde)しかないとすれば?