工藤朱理「食寺」
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設計主旨
・墓を持たない、街に開かれた新しい寺
・誰かの居場所になり、誰もが自由に出入りできる子どものハブ空間
・敷地を通り道として使ってもらい、利用者を増やす
敷地調査の結果、関口には象徴的である「東京カテドラル教会」があり、誰でも入れるようになっていて、 建物を見学している人や教会で祈っている人がいた。そこには昔から変わらない祈ることによって何 かにすがる安心感を得られたり、自由に入れることで街の居場所になっていた。
日本にとって変わらない公共建築というのは「寺」なのではないだろうか。「寺」というのは鎌倉時代 から江戸時代にかけて、寺子屋や修行の場、孤児院、相談所など街の人にとっての心の拠り所になっ ていた。現在では檀家制度が失われつつあり、寺の役割が減少してしまっている。そこで、未来こそ 昔からの「寺」の使い方を復活して継承していくべきという考えをもとに設計する。
問題提起
子ども食堂
世間のイメージから子ども食堂に来にくくなっている人もいて、本当に必要としている子どもに届いているか
分からない。また、ボランティアからできているものが多く、運営資金の確保が難しい場合がある。
寺院
閉じられている寺が多かったり、お葬式や観光など用事がないと訪れることがなく、寺に訪れる人が減少して
いて、寺の存続の危機がある。
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河川葬
亡くなった人を思う気持ちは昔から変わらずとも供養の方法は変わる
単身世帯の増加、墓に対する関心の減少によって生まれた「河川葬」
本堂で葬儀を行った後、納骨の代わりに川に散骨する
神田川は長く続き、最後は海に辿り着き地球に帰る
これは仏教の「輪廻」の考えと言えるのではないだろうか
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フリースクール→寺子屋
未来のフリースクールを昔の寺子屋と照らし合わせる
子ども一人一人の多様性が認められるとともに、学び方の多様性も認められる
法事だけでは寺院の経営が難しくなり、寺子屋の経営を始める
寺子屋の生徒は教育費に加えて食堂の給食費を払うことで、子ども食堂の食材費に当てられる
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▽本堂でヨガレッスン
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▽食堂から季節の植物や枯山水を眺める
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▽三階の共有スペースの吹抜けと二階の関係性
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▽三階から二階のフリースクールを眺める
https://gyazo.com/cbbf0bdfd407e82758d2649430669bb0
▽テラスと HP シェルの関係性
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▽二階のシェル屋根や畳で休憩する様子
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「寺」の役割が生活から薄れ、同時に街のなかでの存在感が失われていくなか、日本人が古から持っている感覚を誘うなかで「こども食堂」と「寺」を重ね、公共の場としての空間性の復活を狙っている見事な作品。シェル構造による大胆な形状が現代の格天井となり寺の未来空間として実現する姿を想い描かせながら、愛くるしい挿絵が微笑ましい提案となっている。(野島秀仁)