日記13
公式サイトに、映画見た人向けの解説とか載ってて良かった。解釈を観客に委ねるタイプの映画は別として、明確に真相が存在したり、知っていたらより楽しめる情報がある場合、公式が出してくれると2周目がより楽しめて良い
実際、最後まで見るともう一度見たくなるタイプの映画なので、(飛ばしつつも)間髪入れずに2週目見てしまった。
ミッドサマーも見たいけど、ウーン映画館いくか〜?
100日後に死ぬワニ、終わった
本編そのものよりも、商業展開的な理由でなんかいろいろ物議を醸し出している。もったいない
ふつう、人は作品に触れるとき、作品そのものではなく、作品を通した体験を評価している。同じおにぎりでも街で食うのと山で食うのでは旨さが違うのと同じで、同じ作品でも受け手の状況ひとつで体験は変わる。
受け手の状況(感情)は、「作品の取り巻く環境をどう捉えるか」でも大きく変わる。ワニに関しては、嫌儲主義的に商業展開を嫌っている人もいれば、最終回に合わせて商業展開を発表した無神経さを嫌っている人もいる。作品外の商業展開がまったく気にならない人もいる。(いつものことながら、この前提を無視してツイッターでは無意味な空中戦が繰り広げられているので、ツイッターでワニに言及したくない)
どこまでが作品で、どこまでが作品のコンテキストに依存しない体験なのかは非常に曖昧だ。おにぎりの例だと「街で買って山で食う」は完全に受け手の行動依存の体験だが、「山小屋で売っているおにぎり」であれば、おにぎり単体ではなく「山で食べるおにぎり」という体験を売っているとも言える。
100日後に死ぬワニも同様で、純粋な「4コマ漫画の連作」を作品として提供しているのではなく、「Twitter上でワニが死ぬまでの日数をカウントダウンしながら毎日読む」という体験を前提として作品設計をしている。実際に作者の意図がどうであれ、ほとんどの読者はその体験を期待してこの作品に触れているはずだし、この連載形態も含めた作品として評価していると思う。
それを前提とするのであれば、最終回投稿直後に連載プラットフォーム(本人のTwitterアカウント)上でコラボPVや書籍化・映画化・LOFTでの追悼企画の告知を間髪入れず流すのは、恐ろしく最終回の体験を破壊する行為だと思う。
そういう意味では、この件は作者の「作品設計の失敗」という側面があり、もったいないなと思った。(商業展開そのものはあまり興味ないのでどうでもいい)
これ、単に「間のとり方が悪い」で済むことをグダグダと回りくどく説明しているだけだな…
全部自分の考えです。前提で触れたけど、そもそも嫌儲主義の人とか電通嫌いの人とか、インターネットにはいろいろな登場人物がいる。みんな違ってみんな大変
どうぶつの森の新作、ほんとうにびっくりするくらいみんなプレイしている。
このシリーズ、やりたいと思ったことがないけど、これだけ流行るということは何かあるはずなので体験したいと思いつつ、なかなか手が出せない。
今回も、結局手が出ないだろうなと思ってしまう。そもそも自分はゲームに対して腰が重い(特に、社会人になって時間がなくなってから)
どうぶつの森は、クリアまでの総プレイ時間が見えているような作品じゃないので、特に腰が重くなってしまう。
まあ、映画や小説も含めて、世の中にはどうかんばっても自分が死ぬまでに知らないまま終わるものって無限にあるので、しょうがない。
収納を整理する関係で、昔の同人誌をパラ見してしまった
見たといっても、主に自分が描いたやつだけど。自分が描いたとは思えないものばかりだ
俺、二次創作のほうが真剣に創作に向き合っていた感じがする。いや、何が真剣だよみたいな漫画ばかり描いていたけど。今のほうが舐めている
二次創作、自分は原作に相当なリスペクトがないとやらないので(一部寄稿はその限りではないけど)、下手なものは描けないなという気持ちでやっている。結果的にかなり悪ふざけみたいな漫画ばかり描いているけど、自分なりに思いの丈を詰め込んでいたりはする
一次創作、全部自分の裁量なので、悪い意味で「ごまかし」をしてしまうんだよなぁ。まあギャグばかり描いているのだから別にいいんだけど、自分の過去の作品を見ると、もっと広い振れ幅で作品を描いたほうがいいでしょと思う
なんで?なんでですかね…
自分の過去の漫画読むと妙にモチベ上がったりするから、定期的にやろう