自分はDoMA族と名乗れるか
DoMAについて
システム名、メソッド名の場合に「それを使う人」の呼称としてどれがしっくりくるかがわからない(ということがわかった)
創始者への信仰として「創始者名+ist」が使われることが多いか?
アルファベット表記もハードルになっている
個人的には収まりの良さなら「土間党」とか良いのではと思うけど「DoMA」に込められた意味が薄れる
でも「DoMA党」はちょっと違う
おどけた感じが薄まる
そういう政党があるのかと誤解されそう
本来の意味(=政党)ではないということは、明確に政治と無縁なワードと組み合わされていればこそ
よって「土間」なら一目で滑稽味を感じられるが「DoMA」は「それっぽい」のでイマイチ
愛好者的な意味合いで名乗るなら「DoMAの会会員」もいいかも
「DoMAの会」は存在しないことがミソ
実際に存在すると途端に閉鎖的なコミュニティのニオイが漂いだす
個人的に、「○○の会」的なものには一切所属したくない
数人で集まって何かを継続的にやる、ということには何も抵抗はないしとても良いことだと思うけど、「○○の会」なるネーミングからは逃げる
実際にはどう表明するか
自分がやりそうな例
「DoMA式で情報管理してるんですけど~」
「DoMAっぽい感じでやってて~」
自分を「DoMAに則って生きる者」としては表現しないかも
実際部分的にしか取り入れていないとか発想をパーツ化しているとかいうこともある
例えば「ワンデイリスト」と「注意オブジェクトモデル」「フラットスタイル」は、いずれも採用してはいるのだが別のツール上で実践している
「別のツール上で実践している」ということ自体がDoMAの真髄から逸脱している感がある
しかし「DoMAから影響を受けているんですよ~!」と言いたさはある
DoMAの血は流れているが、DoMA族とは言い難い(「~族」を今思い出した)
自分に合わせて用いた時に、もはや「純粋なDoMA」でなくなるということ
オリジナルと距離が僅かにも生まれてしまった場合に、「それをする人」とは名乗りづらい
名乗りづらいし、括られることにも後ろめたさ的なものが生じる
例えばこんまり流を名乗るなら師事または私淑して徹底してこんまり流をコピーしないとそうは名乗れない 「モノ」ではなく「メソッド」のユーザーであるということ特有の悩みか