概念を輸入したい領域に語彙を寄せて掛け算する
経緯
執筆をテキスト開発と呼ぶことで、ソフトウェア開発から知見を輸入(スライド)しやすくなるかもしれない。
知見を輸入! なるほど!
その状態を知ってはいたが、端的に示す言い回しを思いついていなかった
ここで言われているのは、人間が執筆と共通項のあり得る他の知的領域で作り上げた知見を執筆にも導入することができるようになる(かもしれない)ということであろうと思うが
もう少し広い、というか、メタファーを通した「感覚の輸入」みたいな観点で考えてみたい
自分の場合
明らかに「自然」「植物」の営みから輸入したいという気持ちがある
それは単純に「好みの問題」とも言えるが
既に馴染んでいるもの、これから馴染んでいきたいものに脳内の雰囲気を寄せていくということ
🤔
各々馴染む世界は違っている
誰かが輸入してきた言葉は、それに馴染みやすい一部の人々にはとてもありがたいものである
一方、馴染まない人々からすると余計に縁遠くなることもある
例えば私はデジタルの方向に寄っていくと身体感覚からどんどん離れていってしまうので、みんながそのようにし始めると非常に困る
よって、各々の個性に基づいて、それぞれが自分のアクセスしやすい領域から概念を輸入してくると最終的にみんなハッピーになるんではないか
多分、その界隈が十分に大きく育っている必要がある面もある
芯にできる概念が固まらないままにそれぞれが好き勝手に「あれっぽい」「これっぽい」をやり始めると、その概念の核がどこにあるのかわからなくて混乱が生じる
根幹はこれです!どーん!が先にあってから、それを各々にインストールするにあたって、馴染む語彙を選んでいくということ
例えば知的生産界は、そろそろ十分に界隈が育ってきている気がする
(十分というのは知見の輸入の多様性に耐えうるという十分さ)
自分の好みで舶来品を選べる時代になったという感じ
とはいえ、選ぶ側はそれでいいのだが、舶来品自体がまるっきり足りていない
「知的生産×〇〇」「文章執筆×〇〇」みたいなことをどんどん進めていって良い時代じゃなかろうか
そういえばNHK-FMで「×(かける)クラシック」という番組をやっている(脱線)
毎回聴いているわけではないが、切り口として面白いと思う
(が、そういう概念の掛け算を面白がる層が多分想像以上に薄いこともわかってしまってちょっと悲しい)