成功体験の再現欲求がプロットを自縄自縛の呪いにする
旧題:プロットはどこまで詰めるべきか
アウトラインを最初に考えすぎることで、自分がこれから何を書くのか「わかった」気になってしまう。そして人は「わかった」ものをそれ以上本気で考えることはできない。
わかる~!
「わかった」ものをそれ以上本気で考えることはできない。
「文章を書く」=「今まさにわかっていくところ」、である場合に「書く」ということを継続できる感じがする。
私の状況
普通に書く時はアウトラインを考えすぎることはあまりないのだが、小説を書こうとした時にこれに陥ることがある。 分析
小説でない文章の時、構成が流動的であることを割と普通に受け入れられる。(私の場合は)
しかし、小説は伏線管理と「読み手の気分」のコントロールのために「ここでこうしたのをあっちでこうして」みたいなことを事前に細かく練っておきたくなる。
が、実際にはうまく書けたものは事前に細かく練ったものではなく、ほいほいほいと書いていったのが結果的にうまく整った状態であることが多い。
根本原因考
自縄自縛を引き起こす最大の原因は、「うまく書けた自分の作品を自分で分析すると、これこれこのようになっていたから、次もそれを再現できるように計画的に書こう!」という意識であるという自覚がある。 そもそも「計画的に書いていない」ことが成功の要因かもしれないのに、その「姿勢」の部分はコピーしないで「結果」をなぞろうとするから失敗する。
作り方が下手というか、未来の自分を信じられるかどうかの話か
一度うまくいったら次以降もそれと同じかそれ以上にうまくいかなければならないという意識がある。