「虚しい」とは心がけが無駄になっていること
かなと思う
前提
🤔
大本にあるものとしては、「何かを考えながらor何かをしながら過ごしてきたが、それが何にもなっていないようだ」という感覚のように思う
例えば無神経な人間に踏み荒らされて努力が無に帰したとか
例えば一生懸命頑張ったことが無いものにされたとか
例えば自分の功績を横取りされたとか
例えばずっとやってきたことに意味を見いだせないとか
虚無に対してできることは、「虚無は回避すべきものだ」と考えてうまいやり方を考えることと、「そもそも全部虚無なのだ」と考えて虚無の中の快を求めていくこと(ニヒリズム)のどちらかの方向
個人的には、虚無にどのくらい遭遇するかは運と選択次第であって「世界はそもそも虚無」とは言えないというところ
回避できる虚無と回避できない虚無がある
回避できない虚無に遭遇するかどうかは運
虚無に絶望をもたらされない限りは「人間」「世界」「真理」「希望」といったものを信じていられる
信じられなくなった人には「そんなものはない」が現実かもしれないが、信じられる人には「きっとある」が現実
絶望している人が絶望の感覚を絶望していない人に押し付けるのは健全でない
他人の絶望に対して「立ち直りなさい」とはとても言えないが、「立ち直らないでいる」ことを正当化できる何かが果たしてあるだろうかという思いはある
どんなに時間がかかってもいいから立ち直る方向に進んで欲しいと思ってしまう
自分があんまりな悲劇で絶望しているとして、それでも他人を巻き込む権利はないだろうし
自分の人生に充足感を覚えるためには、まず自分とはどういう存在であるかを知る必要があると思っている
よくわからないままただ生きていると、生きてきたけどこの人生って結局なんなんだろうという虚無に襲われる
生きるのはずっと大変だったはずなのに、何にもなっていない気がするという虚無
「ただ生きてきた」という中に、意識はしていなかったけどずっと続けていたものがある、というふうに見出だせるものがあればそれを悟った時点で「私の人生とはこれだったのだ」とわかり虚無からは解放される
しかし、ずっと続けていたものがないとか、色々気まぐれにやってきたその動機に共通点があることを見出だせないとか、「私の人生とはこれ」が見えない状態でいると虚無に陥ってしまう