「織る」が嫌いで「切る」が好きな私に必要な本の読み方
前提・経緯・注意書き
大前提
私は読書が嫌です(「取り込む」ことはしたいが「本の形になっているものを読む」が大変に億劫)
読書の進みに必要なことをちょっと見出した
※自分の発想の転換に「おおっ」と思ったという話であり、こうするといいよと勧めるものでは一切ありません
準備
「織る」(「折る」ではない)と「切る」は別個にイメージしたものですが「糸」「布」のメタファーとして揃えられそう(アナロジー) 「織る」「切る」は読書メモの作り方のイメージを指しています
「織る」→(綴じている)ノートに書く、アウトライナーに書く
「切る」→カードに書く
何がどういう話か
起きたこと
読書メモをカード状のメモに書いたら読書の進みが従来比で爆速になった
具体的にはカラー無地の小さいメモ用紙(A7サイズ)
ひょんなことで大量にもらったものなので同じサイズのものが市販されているかは不明
これまで
カード形式で書いたことはなかった
システム手帳のリフィルに書いたことはあったがカードではなかった
理由とりあえず情報カードは単価が高く感じたのと立派すぎて汚く書けないという枷があった
読書メモはノートとシステム手帳とアウトライナーとA4コピー用紙をうろうろ
最近はアウトライナーを使っていた
Scrapboxは活用を検討していたけど実際には読書メモ置き場としては使っていなかった(web記事の引用置き場にはしている)
「進みが速くなる」とはどういうことか
文章を理解するスピードが上がったわけではない
一言で言うと「飽きない」「倦まない」ことによって、次の文に取り掛かるに当たっての重さがなくなった
Before動力が貧弱なのに「面倒くさい」を積載量超過で積んでのろのろ走っていた
After動力は別に変わってないけど「面倒くさい」が積まれなくなってスイスイ走れるようになった
TwitterでTLを読んでいくようにガーッと読んでいけるようになった
一方、読書メモを取っている時間は増えている
数えてないけど一日になんか結構な枚数を書いた
理由
「織る」より「切る」が自分に馴染む在り方だからっぽい
自分の理想としては、紙のノートやアウトライナーにピシッと書いていって検索もリンクもパッパッとできる感じにしたかった
しかし実際のところ、その工程は全然好きではなかったらしい
「構築する」という感じが自分に馴染んでいない
メタファーの元の「織る」「切る」そのものについても同様
地道に織り上げたり積み上げたりして達成感を得る、というのは私にはあまり快がない
一方、「解体する」「解体したものを組む」は好き
カッターやハサミでしょっちゅう色々切っている(その都度目的はあります)
別の問題として、紙の本を読んでいてそれをPCやスマホで打ち込むのはやりづらすぎる
手で書いたほうが数倍速い
「打ち込む」「書き込む」の作業自体の時間を比較すれば「打ち込む」の方が速いかもしれないけど(いやどうだろう)
「打ち込む」ために本の体勢を整えるとかの時間がロスになる
しかし、「数倍速い」のは「読める程度に雑に書くことを自分に許した時」に限られる
ノートに書くとそうできない(個人的な問題)
カード(状のメモ用紙)だからそうできる
あと打ち込むと自分の中にその内容が留まってくれない感じがある
誤変換なく正確に打ち込めたかどうかが気になる
無地のカードに書くにあたってレイアウトを考える機会が得られる
つまり
メンタル面
/emoji/no good.icon理想の構造を思い描き、そこに向けて進んでいくという考え方は自分には枷にしかならない
/emoji/ok woman.iconひたすら解体していき、使える部品を自分の後ろに山にしていくように考える
物理面
/emoji/no good.icon紙の本→デジタル入力はうまくやれないのでやろうとしない
/emoji/ok woman.icon高速で書き殴るためには安価且つぺらぺら過ぎない硬さの紙片が良い
娯楽要素
/emoji/no good.iconデジタルのテキストは視覚的な楽しみや工夫の余地が少ない(あるいは手間になり過ぎる)
/emoji/ok woman.iconカードはスライドを作るようにレイアウトを考えて工夫することができる
phrase