▽二つに分割した自己の対話で考えを整理する
そういえば、最近はやってなかったけど前は自分を分裂させて対話することで考えを整理していた。単に「二つの立場」に分けるのではなく、「どちらも正真正銘私の欲求」という二者を対峙させるイメージ。内容によっては対決しないで私A「まあこれはこうだよね」私B「そうだね」で終わることもあるけど。
ちなみに私Aは龍、私Bは虎のアイコンにして、「意識」と「無意識」がそれぞれ自己主張するイメージでやっていた。「お前そもそもなんでそう思うんだよ」を龍と虎がぎゃーぎゃー言い合っているうちに文脈が整理されていくのである…。(※全部俺)
とはいえそれは「意識」が「きっと無意識はこうだろう」と推し量ってやっていることなので、その対話を経ても「無意識」に寄り添えていないこともある。でも違和感を言い出す口として虎がいるので、虎アイコンを打ってしまえば「なんかもやっとしてるんですけど〜!」を言っていい場がそこに生まれる。
なんとなくうまくいっていないときに、それが合理的でないからなのか(例えば動線が整理されてないとか)、それとも気持ちと反しているのか(例えばそれは見栄のためだけであって自分の嗜好に従ってるのではないとか)、というのは別の尺度で整理すると楽だし、経験上基本的に視点は二つあれば良い。
これのすごいところは文脈を二つ同時に流すことができること。龍目線の文脈での検討と虎目線の文脈での検討は違う角度の違う種類のものなので、一人の人間がやろうとすると厳しいが、アイコンを二つ用意して二人にすればそんなに苦でなくなる。明確に価値観を分裂させる必要があるけども。
自己の分裂を認めるところからスタートしなければならないし、それには長年の自省が必要かもしれない。
二役を演じるのではなくて自己の分割。