▽アウトライナーには分類の整理と論理の整理が混在しがち
nora.iconそう、分類の整理と論理の整理がどちらも「階層構造の箇条書き」で表せてしまうために、アウトライナーには当然のごとく両方登場することになるけど、その混在が整理を難しくすることが多々ある… 分類したノードに論理がぶら下がるとき、場所を変えるかそのまま根を生やしていくか… nora.icon文章のアウトラインなら、分類というのはまず先にあって、その説明として論理を繋げるか列挙に留めるかがほとんどはっきりしているけれど、何かをもやもやと考えて思いついたというときには、そういう構造がまだないからどうしたらいいかわからなくなることがある。下手ゆえに。 nora.icon「こうすることにしよう」と決めてしまえば解決することなのだろうし、そう決められないでいるのが下手な要因だろうとも思うけど、やはり自然に導き出されるものではなく自分で決めなければならないものなのだろうか、というところをまだ割り切れずにもやもや考え続けている。
rashita2: 「下手であるがゆえに」かどうかはわかりませんが、本のアウトラインは(特に原稿を立ち上げる当初は)、僕も「構造がまだないからどうしたらいいかわからなくなること」が多々あります。多々。
rashita2: 一方で、ブログ記事などはそういうことがありません。つまり、上に引いたツイートの「文章のアウトライン」が、僕の中のそれに相当するのでしょう。
nora.iconまさにブログ記事のサイズを念頭に書いていました。私は本を書いたことはありませんが、小説を書こうとしたときに倉下さんの仰らんとしたことが起こっているように思います。ブログ記事程度の構造にすら至れない時点と、それを超えてより大きな構造を必要とする時点に、その停滞が発生しそうです。
nora.icon「ブログ記事程度の構造にすら至れない時点」はちょっと言い方が雑だったかもしれない。ブログ記事くらいのサイズで切り出せるような、なんというか、叩けば岩がパカッと割れる「目」みたいなのがまだ見えていないときの途方に暮れた気分に留まっている状態、みたいなイメージです。
nora.icon何かを考えるとき、それとは全然関係のない物体が何かするとか、物体に何かするとかいうイメージが浮かぶ人間なので、ついそのように表現してしまいます。