▽うちあわせCast第六十四回を聴きながら
nora.iconOS的な感覚は今ではわかるけど昔はわからなかった気がする。
nora.icon(私は)様々な事物や概念について全体的に「最初はその感覚がなかったが獲得した」という格好になっているから、「それはみんなわからないのかもしれない(私がわからなかったので)」みたいに感じることが色んなことで発生する。
nora.icon「模索」に対するモチベーション、「模索自体が楽しい」と「模索しないと思い通りにならない」とがどのくらいの割合で存在するんだろう。というか、「無限に追求し続ける」と「十分と感じたらそこで終わりにする」の差か。後者の方が圧倒的に多そうではある。
不便を感じているうちはみんな楽しくツール開発をするが、ある程度のラインに至ったら「最強のツール」を目指すとかはしないで「まあだいたいなんとかなるからこれでいいや」になる気がする
nora.iconScrapboxとObsidianは見た目を変えられるから使えてるとこはある。(どっかにその話書いたけどどこに書いたっけ)