▽GTD風だがGTD式ではない自分固有システムでやっていく
経緯
(取り上げていただきありがとうございます!)
(深く考えないで書いちゃったところに着目されたのでちょっと緊張しました)
nora.iconGTDがGTDによって達成しようとしていることは同意するし同じところをゴールにして考えてはいるけど、そこに到達する経路として自分はGTDのルールとして示されていることそのものをそのまま取り入れた道程を歩むことはできないので、GTD的メンタルでGTDの香りがするがしかし自己流の方法で歩いていく。 nora.icon私の場合、「レビュー」はやろうとして(タスク化して)やると絶ッッッッッッッッ対に継続できないので、結果としてレビュー的なことがGTD的な頻度で行われることが望ましいとして、それを実現するにはGTDの理論の理解だけでは足りないし、そこを補う何かはもはやGTDとは関係がない何かになるだろう。
nora.iconちょっと前に「結局GTD的なタスク管理をするようになってきた」みたいな話をツイートした気がするけど、その「結果的にGTD似の形になった」というのは直接GTD論によっては導かれていないし(理論を囓ってはいるので強力な触媒にはなったが)、GTDに従っていると言えるものではない感じがする。
nora.iconなんというか、人間がタスクを処理するという一連の流れの説明としてGTDは大変役立つが、それを方法論として考えるとそのままインストールすることが何らかの意味で逆に邪魔になることがあり得て(我々は同じ規格のアンドロイドではないので的な理由により)、GTD流思考はできるがGTD式処理は難しい。
ちょっと余談
nora.iconADHDと診断されるほどではないと思われるがかなりADHD的な性質を持っているので、そうでない人が「これをするだけで〜」「これさえすれば〜」みたいに言うことが「いやそれができないんだが?????」ということになるし、処理の質というものに個人差がありすぎる。
nora.icon「あとはやるだけ」みたいに言われると「ハァーーー!!🥴」ってなるよね。なるけど、一方で「ああしてこうしてそうするとできる!」と人から言われても「ハァーーー!!🥴」になるから、結局自分の頭で考えない限りはどうにもならんとこもある。人の話は参考になるが、基本的には参考にしかならない。
nora.icon仕事や生活に直接的に支障が出て大変に困っている、という危機的状況の中に今まさに身を置いているという状態では自分で考えること自体がかなり厳しいので既存のフレームに自分を合わせてしまう方が良いかもしれないが、精神的に余裕があるなら自分自身の固有のフレームを見出すことに努めたいところ。