▼自己不在の不安が「データベース」への憧れを惹起した
旧題:データベースという形への憧れ
nora.iconNotionもフェードアウトしたし、Airtableもフェードアウトした。(Airtableについては「そうするほどのデータを持っているわけではないな」という気づきを得たので、データベースへの憧れを手放す契機になった。)
nora.iconデータベースという形への憧れは、自分自身を把握できていない、自分自身をすぐ見失ってしまう、という不安や恐怖から来ていた。でもそれは「情報を整理することに長けたツール」を探し当てることで解消されるわけではなかった。(当たり前)
nora.iconデータベース然としたデータベースを完全に個人用に使うのって、客観的に見ればまあ大仰で、今考えるにデータベースを使いたいがためのデータベースになっていたし、本当に必要なデータはExcelでシンプルに管理していたし、当時の自分の迷走は何やってるの感が満載である。
nora.icon表にしてピシッッッとまとめるとなんかすごく「把握した」感があるけど、表形式そのものは別に把握ではないし、「自分」というものの把握はデータの把握ではなくてもっと有機的で流動的で不可分なものを眺めることであって、ひとつひとつ手にとってニッコリできるような形にしていく必要があった。
nora.iconただ、Notionのデータベースの表示形式で遊んでいたときにGallery表示を見ていて「これだ」と思ったところはあり、それがScrapboxの活用に生きている。その辺のことは前にちょっと書いた。
nora.icon特に自分の趣味嗜好や自分の歴史については、視覚から得られる情報というのを本当に大事にしなきゃいけないと思っていて、本当に大事で、本当に大事なんですよ。本当に大事なんです。ということに、なかなか気がつかなかった。言葉や論理を扱うことに苦手意識がなかったから囚われてしまった。