奇人のいる街は住みやすい
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奇人のいる街は住みやすい。本当は奇人と言われるほどの突き抜けた世界を持たないと、しがらみがきつすぎて、緻密すぎて、住みやすくはなく、すぐに引っ越したくなるのだが、引っ越し先がやっぱりそういう場所になってしまうというのは性というしかない。 十何代か続かないと京都人とは言えないというのは、真っ赤な嘘だ。そんなのは中京か上京にあるお菓子やら呉服の老舗に限られている。西陣は丹波や丹後から来た人が多いし、室町は元近江商人が大手を振ってきた。職人には北陸の人も多い。大阪からは「お嫁さん」にきた人が多い。そもそも京都の支配層は関東をはじめ他国から来た人ばかり。藤原、平、源、足利、豊臣、薩長・・・と、京都を荒らしたのは外の人ばかりだし京大出身のノーベル賞受賞者たちも京都出身者はほとんどいない。あってもせいぜい三代目くらいである。 都市は施政者のものではない。所有するのは施政者かもしれないが、同じ場所でずっと生き繋いで行くのは民である。施政者が民の家並みを押し退けて路を整備し、邸宅や伽藍を作り、民は別の隙間を見つけてでもそこに居続ける。仕事があるからだ。仕事にしがみつくためだ。一所懸命働いているうちにツテもできてくる。都市に出稼ぎに来てそのまま住み着いた者のツテはもはや血縁ではない。郷からも都市の支配層からも押し退けられた者たちの相互扶助のネットワークである。ネットワークに入れるまでは「一見さんお断り」の風習である。けれども仲間の紹介があれば、一見さんでも深く受け入れる風習である。友達が一人いれば細部まで入ってゆける街、それが京都だ。 奇人のいる街は住みやすい。これ以上行ったら本当に終わり、という人生のリミットが眼に見える形で示されているからだ。人生の里程標が明確に刻印されている街とでも言おうか。逆の言い方をすれば、そのリミットのうちなら何をしでかしてもどうにかなるという保証とも言えぬ保証があるからだ。こういう意味で、奇人のいる街は自由である。 前衛芸術家がわけのわからぬパフォーマンスをしたり、前衛建築家がけったいなアーキテクチュアを、古い佇まいを押し退けるようにしてニョキニョキ立ち上げた。そしてそれを面白がる風狂な御人が街の中にまだたくさんいた。
見て見ぬふりをする。遠ざけながらもその存在を許容する。これこそ成熟した都市が育んだ寛容の精神である。そんなモダンな都市でこそ奇人伝説は生きながらえる。ノイズこそ活力の源だと、そんな無意識の計算ができることが、モダンな都市住民の条件なのかもしれない。
お気に入りのタイプの奇人がいる街かどうかを確かめるにはその街の公園に行ったら分かる?
narita_yusuke 意外に理解されてない気がするけど、人に言える職業で活躍してる人はみんな小心者の常識人。起業家でも音楽家でも政治家でも。変人や奇人に会いたければ真っ昼間の近所の公園で探した方が早い