古代メソポタミアの歴史
古代メソポタミア
の歴史
シュメール人
たちの
シュメール文明
縄文時代
に起きた地球規模の
海面上昇
が終わり、海面が下がるのにあわせて、ゆっくりと
アナトリア
地方から
メソポタミア
南部まで南下し、そこで発展した
その後しばらくして、シュメール人の兄弟民族
エラム人
の
エラム王国
が
イラン高原
で誕生
メソポタミア
地方の
アッカド
という都市から、
アッカド人
が勢力を伸ばし、
シュメール人
国家を征服
政治の主導権を握った
その後、シュメール人がアッカド人国家から政権を取り返し、エラム王国の政治権力も奪う
全盛期のシュメール人の国の名を政治的首都の名前
ウル
(
Ur
) から、
ウル第 3 王朝
と呼ぶ
日本語表記だとウルだが、実際の発音は
ウゥ
(
Wu
)
その後、シュメール人国家は力を弱めていき、
アムル人
(
Amorite
) と
エラム王国
に攻められた
完全に滅びたわけではなく、アムル人、エラム人、シュメール人が
メソポタミア
と
エラム
地方で共存することに
アムル人たちの
バビロニア帝国
のメソポタミア征服の時代まで続く
参考文献
アマテラス解体新書