コンテナ普及の過程
コンテナ普及の過程
1962 年 (コンテナ登場から 6 年) 時点では、貨物取扱量の中でコンテナが占める割合は微々たるもの
海運大手の経営者たちはコンテナに輸送産業の未来がかかっているとは考えていなかった
先駆者は苦戦
海上貨物のコンテナ化だけでは効果は小さい
船会社にとってはありがたいが、荷主にとってはコストの一部でしかない
鉄道ではトレーラーを運ぶピギーバック方式が登場
最初は細々と使われていた
1954 年、ペンシルバニア鉄道のピギーバック導入で大きく改善
トレーラートレイン社を設立し、他社も資本参加
1957 年、競合のニューヨーク・セントラル鉄道はフレキシバンというサービスを開始 (一種のコンテナ)
ミズーリ・パシフィック鉄道やサザン鉄道もコンテナを提案
1958 年の運輸法
1960 年には大陸間のコンテナ定期輸送サービス
複数の輸送機関を利用することを意味するインターモーダル輸送ということばも登場
規制当局ですら輸送機関におけるコンテナリゼーションの競争を推奨し始めていたころに、船だけが遅れを取っていた
船会社と港がコンテナリゼーションに本腰を入れるようになったのは 1966 年
1965 年時点で、ほとんどの船会社の船は第二次世界大戦の遺物だった
マルコム・マクリーンが船会社のコンテナリゼーションの先陣
1965 年に 2 つの特大の取引
1. ダニエル・K・ルートウィヒ
2. リットン・インダストリーズ → リットン・リーシング誕生
シーランドが大量のコンテナ船を入手したニュースが広がり、海運業界でコンテナ船ブームに
最初に大西洋を渡るコンテナ輸送サービスを導入したのはムーア・マコーマック海運 (1966 年)
ユナイテッドステーツ海運、シーランドがそれに続く
太平洋を横断するコンテナ輸送サービスのはじまりの年については不詳
アメリカを起点とする外航航路でコンテナ輸送サービスを行う会社は 1967 年に爆発的に増加
1966 年は 3 社、1967 年には 60 社
1968 年には洋上にフルコンテナ船が次々に登場
ヨーロッパの鉄道はコンテナに前向きだったが、アメリカ東部の鉄道はそうではなかった
ピギーバック方式のトレーラートレインがうまくいっていたし、設備投資のための資金的余裕がなかった
アメリカ東部の鉄道は、コンテナが不利になるような運賃設定をした
マクリーン・インダストリーズは自前で鉄道のコンテナ化を推進
シカゴとセントルイスに自前の鉄道貨物集荷用ヤードを建設する計画
ペンシルベニア鉄道は前向きだったが、ニューヨーク・セントラル鉄道をはじめとする他の鉄道各社は反対
ペンシルベニア鉄道とニューヨーク・セントラル鉄道の合併により、マクリーンの望みは潰えた
参考文献
コンテナ物語