イースタリン・パラドックス
国際比較でみて所得の高い国の well-being が高いとはいえないこと
一国時系列でみて所得の上昇が必ずしも well-being の上昇をもたらさないこと
国際比較で所得がある水準以上になると well-being が頭打ちになること (飽和点の存在)
幸福のパラドックスについて議論する場合には、生活評価、生活満足度、幸福度、感情の四つを区別することが重要である。 幸福のパラドックスとは、いわゆるイースタリン・パラドックス─国際比較でみて所得の高い国の well-being が高いとはいえないこと、及び一国時系列でみて所得の上昇が必ずしも well-being の上昇をもたらさないこと─そして国際比較で所得がある水準以上になると well-being が頭打ちになること (飽和点の存在) である。 しかし、Cantril Ladder による生活評価を指標に使った近年の諸研究によれば、国際比較でみて評価と対数所得との間に直線的な右上がりの関係が見出される。 これは、生活の評価がグローバル・スタンダードに基づいてなされているからだと考えられている。 一国時系列でも多くの場合、生活満足度を指標にとればそれは所得の上昇とともに上昇している。 ただし、感情を指標にとると米国の場合、最近の一時点でみて well-being がある所得水準で頭打ちになる。 幸福の経済学において最も大きな反響と論争を呼び起こしたのが、R.イースタリンの1974年の論文である。彼はそこで、国際比較及び一国の時系列では幸福度あるいは生活評価と一人当たり GDP との間に明確な関係がみられないと主張した。もしそれが正しいのであれば、経済成長は幸福と無関係ということになる。