アジアにおけるコンテナリゼーション
アジアにおけるコンテナリゼーション
日本ではコンテナリゼーションが進言されていた
東京、神戸
1967 年には極東航路でフルコンテナ船が就航
東京からサンフランシスコ?
マトソン海運と日本の船会社の共同運営
ノウハウを学んだ日本はあっさりマトソンを外してカリフォルニア向けコンテナ輸送サービスを開始 (1968 年)
シーランドも同年にベトナムからの戻り船を横浜と神戸に寄港させた
日本から西海岸への航路
当時、日本はアメリカにとって第 2 位の貿易相手国
アメリカと日本とのコンテナ輸送を推進するという情勢だった
日本では内陸運送にハードル
三井物産と取引
エレクトロニクス製品の輸出でアメリカ市場とヨーロッパ市場を席巻するように
日本政府は、経済開発戦略の中心に海運を据えた
台湾、香港、シンガポールでも
シンガポールが最も熱心
コンテナ港として東南アジアのハブ港になるという戦略
1970 年になると、日本以外の太平洋岸の港にも大型コンテナ船が続々と寄港するように
1972 年には、シンガポールが極めて効率の良い港として有名に
アジアの中枢港の地位を確立
1982 年には、コンテナ港として世界 6 位に
1986 年にはシンガポール 1 港でフランスの全ての港のコンテナ取扱量を上回る
1996 年には日本を抜く
2005 年には原油を除く一般貨物で香港を抜き世界最大に
2010 年には上海に抜かれたが、世界 2 位
貿易立国日本の成功が、太平洋岸の国々で再現された
韓国、香港、台湾、シンガポール
アジアではないがオーストラリアも
参考文献
コンテナ物語