アクエンアテン
Akhenaten / Amenhotep IV
エジプト第 18 王朝の実質の最後のファラオ
アメンホテップ 4 世とも呼ばれる
出生時の名前はアメンホテップだったが、国家神であったアメン神からアテン神への信仰変更のためにアクエンアテンに改名
「アテン神に有益な者」 を意味する
妻はネフェリティティで、子がトゥトゥ・アンク・アメン (ツタンカーメン)
史上初で一神教をはじめた
エジプト全土を唯一神アテンのみを崇拝する国とする、した
しばらくは内紛が起こった
ラーやアモンを信じていた者たちからの反発など
多神教 vs 一神教
エジプトの権力者がアクエンアテン討伐を計画したため、ツタンカーメンに王位を譲ってしばらく身を隠した
ツタンカーメンが若くして死んだあと、エジプトに戻って正当な王を名乗った
当時エジプトの実質的な王で、エジプト第 19 王朝を始めようとしていたラムセス 1 世が反発
アクエンアテンはエジプトを脱出し、シナイ半島で自らの軍と合流、カナン地方に行って基盤を整えようとした
ラムセス 1 世は、アクエンアテンがカナン地方に到着する前に軍で迎え撃つ
その最中にラムセス 1 世が死去 → 息子のセティがその戦いを継承
最終的にアクエンアテンはカナン地方に辿りつくまでに死亡
この話が聖書におけるモーセのエジプト脱出のモデルではないか?
この戦いからしばらく後 (ラムセス 2 世の息子、カエムワセトの時代)、古代エジプトには中東のイスラエル人と戦った記録が残されている
世界に残る、もっとも古い 「イスラエル」 の記述
アクエンアテンとアテンの一神教徒たちかもしれない
ラムセス 2 世によって、歴代のファラオの系図からアクエンアテンの名は消された
関連
モーセ = アクエンアテン説
参考文献
アマテラス解体新書
https://ja.wikipedia.org/wiki/アクエンアテン