発想することの教育と評価とAI
先週のナイトスクープで「子どもがすぐにAIを使う」というテーマの依頼があったのを昨日見たが、たいへん考えさせられてしまった。カジュアルに「初手でAI」をやってしまうのが、もうここまで一般化してしまってるのだろうか。
ただこれ、評価というものから逃れられない以上、そうなるのは当然なんだよな。評価してるのは大人であり社会。そしてそれ自体をどうにかすることはできない。「良い評価」がされるように頑張りなさいと言い続けてきたのに、いきなり「下手でもいいから自分を出せ」と言うのは酷だよな。
なので、「やっぱりこれはアカンよね?」ということを子どもに言わせるように仕向けること自体も、なんだかもやもやする。
「どのように発想するか」というのは大変に教えにくく、それが身につくような教育が十分にできているとはとても思えない。しかし「自分が発想すること」を求めそれを評価するような局面は、教育の場にもそれ以外の場にも、あまりに多い。自分自身も反省するところは大きい。
教えてもらえるわけでもなく、「自分で考えろ」といわれ、でも評価はされてしまい、その評価は将来に響いてしまう(という切迫感がある)。そりゃコピペもするしAIも使うわな。いにしえから変わらないのかもしれない。
#雑記
2025/11/15, 2025/12/2のX(twitter)をもとに