生成されたものの評価と個人の歴史と価値の独自性
これからは(情報的な意味での)モノを生み出すための実作業を人が直接行うことが少なくなっていって、評価すること、「正解」を判断することが仕事になっていくんだろうな。
ただ、「評価できる」ということと、「理解している」ことは必要十分な気がするので、学ぶこと自体の必要性が消えることはないはず。というかむしろ増すかな。
評価の前提となる「価値」の独自性みたいなものがますます重要になるのではないか。そこでは、個人としての時間(歴史)のもつ情報量の大きさが価値をもってくる気がする。
昔素人ながら曲作りとかをしていたときも、「生み出す」とか「降ってくる」とかではなくて、でたらめに思いついたもの(しかしそれは恐らく過去の記憶からモデル化された何かから出てきたもの)をジャッジする作業だったように思う。確率的に生成されたものを評価するというのはとても自然というか。
文章を作るという営みも同じようなものという気がするな。
#雑記
2023/3/19のX(twitter)より