成績の絶対評価と相対評価と基準の更新
学生が力をつけることが本当に大切なら、授業における試験的なものも一発勝負じゃなくて、もしできなくても勉強し直してできるようになればそれをもって評価すればいいと思うし、そういう意味で絶対評価しかあり得ず、究極には全員最高の成績をとるのが理想ではないかという気が昔からしている。
現実的には限られた期間内で全員に再学習の機会を担保し指導なり支援なりを行うのは難しいから、もちろんそれは理想でしかないのだけど。でもうまくテクノロジーも援用しながら少しでもそれに近づけていきたいという思いはある。
相対評価的な「ルール」を設けるのは、成績をなんらかの選抜に用いるという前提が(もちろんそれだけではないが)ひとつにはあるのだろうけど、学習成果重視の文脈とはどうにもなじまない気がしてならない。
ある授業で成績が高い方に偏ったとき、「教員が成績を甘く付けた」のか「多くの学生がよく学び実際に高い水準にあった」のかは、データのみからは判別できない。
後者の場合、これだけ多くの学生が高い成績を取れるのならもっと高い基準を設定できる、ということになって、次期の授業では基準を高める。そこでさらにより指導力が上がってまた成績が高く分布したら、さらに基準を上げる。というのがもし繰り返されたら、その授業だけめちゃくちゃ水準が上がりそう。
その場合、たとえ最終的に分布がいい感じに収束したとしても、他の授業がそういうプロセスを経ないとすれば、同じような成績分布であっても実際の水準は全く違うということになる。そのようなとき、分布のようすが同等であっても、それをまとめてGPAにしてしまっていいのだろうか。
これは極端な例だけど、実際にいますでにそういうことは多かれ少なかれ起こっているのだろうなと思う。
そうすると成績の各評語がどの程度の「達成度合い」を示すのかについてのメタ基準が必要になるけど、この多様を極めるあらゆる科目に共通して適用可能なメタ基準みたいなものは本当にできるんだろうか。どこまでもメタになっていく。
#雑記
2019/7/9 X(twitter)をもとに