ミルクボーイの漫才と大喜利
ふと思ったが、ミルクボーイの漫才の構造は「どう考えてもコーンフレークやないか。どんなの?」「絶対コーンフレークちゃうやないか。どんなの?」というお題の大喜利を交互に繰り返してるのだな。ボケは大喜利の回答で、ツッコミがその説明。なのでボケもなんでもよいわけでなく、大喜利力がそもそも必要。 ボケがすでに大喜利の回答としてある程度成立してるので、「〜やないか」の時点で笑いが起こる。(ただし回答として強すぎないのがミソ。)そのあとのツッコミはツッコミというより大喜利の回答にかぶせて回答の世界観をふくらませてる感じかな。
このシステムだと無限にネタができる(しかも飽きない)という感じが最初見たときにしたけど、基本が大喜利だからと考えるとすっきりするかも。いまツイッターとかでまさに大喜利化してるのも納得。 よく考えたらツカミの客席から何かをもらうやつも大喜利だしな。 YouTubeでも大量にあのシステムの漫才がアップされてるし、M-1後にやってるネタもだいたい違うネタだし、ほんとに無限にネタができる感じはするな。
彼らだから面白くできる面もあるけど、他のコンビがやってもまた違う味わいでできるのかもしれないな。それくらい優れた構造という気がする。