ノリツッコミと比喩と「深い理解」
ノリツッコミとかの「ノる」という行為は、そこにある話題の対象について瞬時かつ十分に理解していないとできないので、けっこう高度なことなのかもしれないな。別の言い方をすると、対象のモデルを共有できていて初めてできることというか。
これに類するものとして、「比喩を比喩で返す」というものもあるな。これはさらに高度な理解が必要かも。でもよくある。比喩の世界の中で「話が通じて」いれば、多くの場合十分に理解ができているような気がする。(比喩の理解が異なっていることもあるが)
広い意味で「ノれる」能力と、ある種の「深い理解」には、大きな関係があるのだという気がする。前者は後者の外化の一形式。これをパフォーマンス評価すると理解度がそこそこ測定できるのでは。
どうでもいいが、これに関連して…
そう考えると、ハライチの漫才のフォーマットは本当に優れていると思った。キーワードを岩井が言うたびに、観客の頭にイメージ(ある種の各自の軽い「ノリ」」が浮かび、それを澤井が「答え合わせ」して、そのズレで笑いが起こる。
観客の「ノリ」が固まる(イメージが深くなる)前に答え合わせされるので、ズレの効果も高くなる。そして、2009年のM-1のネタでいえば「カモシカにベッド」なんかはこの構造を逆手に取った素晴らしいフックだよなあと。
2018/11/15のtwitterより
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