「自力」をやってしまっている
小学校か中学校か忘れたけど、あるとき社会かなにかの授業で、他力本願というのは本当は単なる「他人任せの態度」ということではなくてね……といった話を先生がしていたのをおぼろげに覚えている。そういうことを話せる先生がいるというのは、浄土真宗の根付いた土地柄ならではなのかもしれない。 滋賀の北のほうですが、日曜日には小さい子向けにお寺で「日曜学校」があったり、4月8日あたりには「花まつり」があったり、法事も頻繁にあるので、あのへんはそういう思想に触れる機会がすごくあると思う。子どもの頃から「おつとめ」(正信偈とか)もするし。
で、法事とかでは「ごえんさん(お坊さん)」の話を聞くというのがセットなので、浄土真宗とか大乗仏教的な考えに知らず知らずのうちにとても触れているんだろうなと思う。こういうの、けっこう大きいような。 ずっと大きくなってから(それこそ20代後半とか)、あらためて親鸞の思想とかを知っていったとき、なんとなくとっつきやすい気がしたのだけど、まあそういうことなんだろうなと。いいのかどうかは知らないが。 まあそういうことで、「自力」的なものにうさんくささを感じてしまう性分になってしまっている。とはいえこれは大いなる欺瞞で、自分でもすごく「自力」なことをいろいろやっているはず。というか教育なんて「自力」のオンパレードなので、悩みはこれに尽きる。 もう何も言わず何もなさず、人にばかにされながらそっと生きられたらどんなによいか、と思うこともある。しかし「苦悩の旧里はすてがたく」であり、いろいろやろうとしてしまうのですよね(笑)真逆を行っている感がある。