「自力」と教育
「他力」に近い考え方を徹底していくと、逆説的だが、「冷たい人間」になっていく。メタになるということは、そういう側面もある。で、僕自身はこっちの考え方にしっくりきてしまう人間なので、たまに自分がものすごく冷たい人間なのではないかと思ったりするし、実際にそうなんだと思う。 そして、これもまたすごく逆説的でメタだが、「他力」的な考え方を徹底していくと、どうしても「他力」になりきれないことがわかってきて、欺瞞に悩んだりする。自力にせよ他力にせよ、欺瞞からは逃れられない。 だから教育にしても、こういう「あんたのためやで」という「自力」に気持ち悪さを感じると、「そのまま『自ずから』に任せればいい」と思えてきて、作為をなるべく排除できないかな、と思ったりするが、これを誤ると「ほったらかし」になるし、「一方的講義(のみ)」に帰着するというジレンマ。 なんというか、言語化されていなくても、こういうことを無意識にそれぞれに感じ取るから、「大学としての方針」とかが定めにくいんじゃないかなと思ったり。大学にはそういうメタを考える人が比較的多そうなので、合意をとるというのは本当に難しいのだろうな、という。 自分の授業にしても、「こうしたらいいんじゃないか」とあれこれ考えていろいろ工夫するんだけど、たまにふと、ものすごく「自力」に寄ってきてないか、と思ったりする。でもそこは自分で疑っとかないといけないところだろうなと思うので、いいんですが。