AIによる創作と人間による創作
2018/9/13
@createwithAI: link How AI could compose a personalized soundtrack to your life https://t.co/ADFpeTJmL8 AIでの自動作曲を目指すスタートアップ AIVAのファウンダーのTEDトーク. 映画Herにインスパイアされて個々人にパーソナライズされた音楽の生成を目指すようになったとか. @naotokui: こういう場合、この音楽をAIで作ったというのはミスリーディングな気がします。スコアは生成しているとしても、音を選んでいるのは人間ですよね。Music(=音楽)の生成ではなく、Music(=楽譜)の生成として捉えるべき?? なにをもって音楽というか。
ちょっとずれるけど、ここにある「パーソナライズされた音楽」というのは、本当に「嬉しいもの」なんだろうか。ちゃんと読んでないので、ここでいう「パーソナライズ」がどういうものを指しているのかわからないが。 究極を考えると、「自分一人しかそれを楽しめない音楽」があったとして、それは嬉しいのかな。まあ、そこまで極端な話ではないんだろうけど。
アートや作品って、なんらかの意味で「人と人とがつながること」に価値があるんではないのかな。
作品を媒介して人と人とが共感するとか。あるいはその作品を好きな人が周りに自分しかいなかったとしても、作者と自分はそこでつながっている。
「なにかアルゴリズムが自動生成した作品」に感動することはあると思うけど、それが究極に「パーソナライズ」された場合、誰ともつながらないことになってしまいそうで、それはものすごく寂しい気がしてしまう。それでいいのかもしれないが。
自動作曲って、なんらかの評価関数(価値関数)のもとで生成されるってことだから、その価値関数をパーソナライズすると、結局自分が自分の感性で作曲することと同じことに、、、って、じゃあそれはそれでいいのか。自分で作った曲を自分だけ楽しむということはありそうだ。でもなにかすっきりしない。 作曲の「創出の瞬間」が自分の外にあると、やっぱり自分が生み出した感覚はないのではないか。なんとなくそこに虚しさを感じるんだよなあ。
まあようするに、ぼくはそういうところに価値を感じてるってことか。
僕は音楽を理論的に分析するのがものすごく好きで、「この部分がぐっとくるのはこういう転調をしてるからだ」みたいなことを思うわけですが、その知見を単純に用いて作曲してもぐっとくる曲ができあがるわけではないんですよね。その間にはかなり大きな溝がある。 エッセンスを帰納することはできても、その演繹のしかたには無数のパターンがあって、そこにまだ大きな謎がある。まあ、十分に帰納できてないだけという話かもしれませんが。
これは、笑いも全く同じなんですよね。「天丼」とか「三段オチ」とか、エッセンスを「説明」することはできても、それを単純に入れたから面白くなるというものではない。 まあそんな意味で、音楽を良いと思う感覚と、笑いを面白いと思う感覚をちゃんとモデル化してみたい、という欲求はけっこうある。大喜利AIとかはこれに近いかもしれない。いまは、ブラックボックスでもいいので妥当なアウトプットを出すというアプローチだろうから、ちょっと違うのかもしれないが。 大喜利のAI(大喜利β)は、たまに本当に笑ってしまう回答を出すところが恐ろしい。あと以前、自動作曲でビートルズっぽい曲というのがあって、転調の感じがかなりいい感じで面白かった。アルゴリズムが生成したものを面白く感じること自体は大いにある。そしてそれ自体はとても面白い。 2018/9/15
そういえばこないだ書いてた作曲AIや大喜利AIみたいな話について考えるときいつも思い出すのは、ドラえもん17巻に出てくる「まんが製造箱」。マンガを読み込ませると、その作風をコンピュータが分析して、たとえば「手塚治虫になりきって」新しい作品を作ってくれる、というやつ。
あれはまさにデータ(実際のマンガ)から、作者のモデルを学習して、生成モデルとして使用してる、ということであって、作曲にしろ絵画にしろ大喜利にしろ、「AIで生成」というのは、そういうことをしようとしてるのだよな。 で、そのドラえもんの話では、手塚治虫のマンガを「まんが製造箱」に読み込ませて、「SFで迫力があって涙あり笑いありの長編」みたいなオーダーでマンガを生成させてて、できあがったのがアトムのパクリキャラみたいなのが出てくる「スペースシンドバット」という面白くなさそうなやつだった。示唆的w
とくにキャラクターがアトムの丸パクリみたいなやつだったところに、内挿はできても外挿は難しい、みたいな示唆がある気がするw いやもちろんそんなアイロニーは込められてないでしょうけど。 あ、そういえば星新一のAIのプロジェクトのことを忘れてた。あれなんか、対象が対象だけに、メタな面白さがあるよなあ。
で、こういうものって、「中国人の部屋」みたいな話で、受け手が判別できなければ、生成したのが人間だろうがアルゴリズムだろうが関係ないというか。ケータイ大喜利も大喜利AIが出てきてすぐ終わっちゃったし。(いまはそれを逆手にとった企画やってるし) 作品が、人間が作ったものかアルゴリズムが作ったものかわからなくても、人間の心は動くと思う。で、もしもそういうアルゴリズムの生成作品が増えていったら、AIはそれを学習データにしていくようになり、、、
まあいまだって、人間が機械でない保証なんてないわけで、、というか、機械と人間を分けるものとは? みたいな話も、しようと思えばできるか。
「人間にしかできないこと」的な概念はうまくアップデートしていく必要があるのかもしれないな。むしろ、人間の尊厳や幸福のためにも。