2026/5
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2026/5/31(日)
今月から日記的なものを書き始めてひとまずは一ヶ月経った。あまり日記的ではないが、できる範囲で続けていこう。
かなり前に予測と不安とデータリテラシーで書いたように、不安と「予測できない」ことには深い関係があるのだろうな。そしてその不安を食いものにする商売は山ほどある。
2026/5/30(土)
AIもよいが、VR的なものがもっと発展するとよいな。
2026/5/29(金)
神田外語大〜丸の内キャンパス授業デー。疲労がたまっている。
なんかうまく動けていない感がこのところずっとある。
SNSを見ててもあんまりいいことない感じがすごくする。でも気づけば開いている。それで勝手に疲れている。
あるアーティストのアルバムをファーストから一気に聴く、みたいなことを不定期にどうしてもやりたくなるときがあり、今月はミスチルで久しぶりにそれをやった。でもものすごく「ながら」で聞いてしまい、ちゃんと聴いた気がしない。こういうのはとてもよくない。最近なにかと散漫だ。
あとこのところ寝る前にすぎやまこういち『弦楽のための「舞曲」』をよく聴く。これがいまはいちばん落ち着く。すぎやま先生はこういう曲をもっと書きたかったのではないかな。昨年の都響イデオン等コンサートでやった『神秘なる静寂』もだし『日本の風』も。もっとこういうすぎやま純音楽が聴きたかった。しかし『日本の風』は配信されるんだろうか。とにかく感激したという記憶しか残ってないのでなんとかまた聴ける日を待っています。
2026/5/28(木)
あっという間に妙にタスクが詰まってしまう。
ドラクエ12が出る頃には50歳になっていそうだ。もうナンバリングとしては最後の作品になるのかもしれないなあ。
2026/5/27(水)
GPT5.5が、いままで作りたかった授業用シミュレータをサクサクと作っていく。
2026/5/26(火)
なにか創造的なことをやるのに絶対に必要な「まとまった時間」が本当にとれない。
絶対に必要と書いたが、細切れの時間で創造できる人もいるか…
AIエージェントを使うとかもあるのだろうが、それをやり始めるための気力が続くまとまった時間がない。
2026/5/25(月)
研究室に冷蔵庫を買った。もうすぐ着任から10年になろうとしているがようやく…
2026/5/24(日)
「ツッコミスター」面白かった。
何の変哲もないものにツッコミを入れるというのはそれなりにいろんな形でこれまでにもあったと思うが、それを競技にすることで価値がわかりやすくなった、ということもあるだろう。
ツッコミではあるのだが、結局これは、お題自体をボケ化するための視点を最初に入れる必要があるので、ボケ自体をやっていることにもなるのだろうな。普通の大喜利だって多くはそうなのだろう。
2026/5/23(土)
教育システム情報学会の春季研究会@早稲田大。委員なので運営側。無事終わりほっと。来年のこともおおかた決めた。そのほかにも今日はだいぶ仕事した感覚。
Xで、尺度と棒グラフについての議論や、0.999…=1の議論などがいま盛り上がってるが、こうした話題はこれまでに何度も出てきているはずで、しかしそれはとても良いのだろうなと思う。
こういう話題の何らかの結論めいたものには過去に誰かが辿り着いていることがほとんどであろう。それを知らない状態で同じ答えに辿り着く議論のプロセスいうのは、ある種の「車輪の再発明」的だが、それは個人的・社会的な学びのプロセスとしてはとても良いことのように思える。どんどんそれぞれに再発明すればよい。
2026/5/22(金)
ここには日記を書こう、ということで始めたものの、やっぱり書けないことは多いので、これは日記というものではないな。
2026/5/21(木)
授業資料はCosenseで作っているがそこそこのボリュームになってきたので、これのJSONを渡して「このテーマで90分の授業のスライドを作って」とChatGPTに言ってみた。なんかきれいなものは出てきたが、とてもそのまま使えるものではない・・・
もちろんきちんと指示したら使えるものができるであろうことはわかっているが、裏を返せばやっぱりちゃんと指示しないと全くだめだ。本当に、使う人の力量次第という感がすごい。
Claudeでやってみたら若干ましな気もしたが、でもこれで授業はできない。繰り返すがもっと調整したら使えるのはわかってはいる。
学会発表や講演のスライドとかも、まだAI作成のものはきついだろうな。僕は。全然それで喋れる気がしない。
2026/5/20(水)
やはり教育(育児も)における自力と他力のことを考えてしまう。教師や親の自力による行動の促しは極力やらないほうがよいのだろうと気持ちとしては思いつつも、そうもいかないこのアンビバレントさ。SNSにはあれをせよこれはするなの情報ばかり。世の中は難しいことばかりだ。結局死ぬまでなにもわからないのだろう。懸命にやっていくしかないな。
2026/5/19(火)
下の5/16の日記に書いていた、簡単な関数当てはめのシミュレータだが、昨日寝る前にChatGPT君とちょっとやりとりしたら、ほんの30分くらいで当初イメージ以上のものができあがった。ちょっと賢すぎる。
ある程度こちら側に明確なイメージがあれば、さほどプロンプトを書かなくても怖いくらい意図を読みいい感じに忖度して、それらしいデザインで仕上げてくれる。微調整も、こっちがしっかりしてればほぼ完璧にやってくれるな。
そしてそのままの勢いで、GitHub Pagesにのっけて誰でも触れるようにしてみた。パラメータを動かすと関数の形が変わるというイメージを持ってもらうためのもの。ついでに最小二乗法での一次関数・二次関数の最適解とも比較できる。
https://nkondo7.github.io/ml-simulator/
GitHub Pagesで公開するやりかたも(僕は全然詳しくないので全く知らなかったが)教えてもらいながらあっという間にできたし。なんということだ。
2026/5/18(月)
Xとかを見ているとあっという間にAI派vs反AI派みたいになっている。
僕もChatGPT以降書いてきたもののニュアンスをまとめるとあきらかに反AI寄りになるだろう。そんな単純なものではとてもないのは当たり前ながらも、大学教育がどうとか人間の学びがどうとかをそれなりに長い間考えてきた身として、これまでそれの習得が目的だったり手段だったりしたなにかがあっという間にAIの範疇になり、世の中の大勢が基本的にこれを無条件に近い感じで歓迎する方向に向かっているようにみえることに対して、うまく言えない恐ろしさのようなものを感じているのだろう。
いつも思い出すのが、大長編ドラえもんの「ブリキの迷宮」とか、火の鳥の未来編とか復活編とかなのだが、たぶん子どもの頃からこういうのを見てきて、認知も身体も無批判に機械にアウトソーシングすることの怖さみたいなものを勝手に自分にすりこんでいたのかもしれない。
2026/5/17(日)
昨晩のTHE SECOND、トット、リニア、黒帯あたりとくにめちゃくちゃ面白かった。トットってこんなことになってたのか。リニアもだいぶすごい。金属の3本目も最高。初回のギャロップ3本目も4分くらい溜めるやつだったけど、金属のはもっと強烈だったな。本当に一撃だけ。でも十分に一撃で回収できてるレベルでほんとにすごい。
こういうお笑い賞レースはM-1以降あらゆるものをずっと見ているけど、思えば子どもの頃からなにか笑いに関するものはずっと好きだった。漫画もギャグ系が好きで自分でもよく書いていた。自分で「笑いを取る」のは全く得意ではないぶん、憧れがあるんだろう。
この雑記にもたまに書いてしまうが、ハイレベルなお笑いのネタをみると本当に感心してしまうことがあり、その笑いの構造を捉えたくなってしまう。
生成AI時代になって、学習やモデル化という概念が以前よりずいぶん一般化してきた感はあるけど、笑いというのも個々人による世界のモデル化がその根本にあり、それは世界のデータから学習されたものである。このモデルは「世界の構造に関する何か」のモデルであり、ネットワーク状のもの。場に何らかの話題が出ている際に、「構造が似ているが別のもの」が提示されると、そのずれによって笑いが起こることがある。起こらないこともある。構造のずれは笑いが起こるための必要条件であり十分条件ではない。いわゆる「頭の回転が早いな」と思わされる芸人は、リアルタイムに起きている話題に関して、その構造が類似しているなにかを検索する能力と、それを「面白いリズム」で出力する能力が異常に高い。構造化する力と検索する力はきわめて高度な認知機能。一方で「間」やリズム、声色や声のボリューム感、表情や動き・・・といったものは、よりプリミティブなものであり、これは身体的な、いわば内蔵的な言葉というようなものであって、おそらくネタみたいなものが本当に面白くなるためには、前者だけでなくこちらも必要になる。いわば前者は意味であり、後者は非意味。漫才はとくにこれらが総合的に表出されないと本当には爆発しない。後者は自己表出も入っている。「ニン」という言葉を芸人がよく使っているが、これはそういうことではないかと思う。これが出てくると「本当に面白いもの」になる。優勝するような漫才師はこれを手にしているのだろうと思う。
みたいなことをずっと考えている。
2026/5/16(土)
今週なぜか睡眠時間が短めになっており、一週間移動平均が7時間を切ったのち気づけば5.5時間くらいになっていた。なんかしんどいなと思っていたがそりゃそうかという感じ。データと実感がとても合っている。
機械学習系の授業で、二乗誤差が小さくなるように関数のパラメータを決めるのが学習だ、という話で、関数とは、何かを入れると変換して何かを出してくれる箱みたいなものであって、この箱にパラメータという調整ツマミがついており、このツマミを回すと関数の形がぐにゃぐにゃ変わるのだ、という話をよくするのだが、実際にツマミをグリグリ動かすと関数がグリグリ変わるようなシミュレータを作りたい。いまやちょっと時間あれば作れるはずなのでやってみたいと思いつつやってない。
2026/5/15(金)
神田外語大〜丸の内の授業デー。最近若干睡眠時間がとれてないのもあって端的に疲れた。
2026/5/14(木)
なかなか形にならないものをなんとか形にするよう最後のひとふんばりをする仕事。
チキンタツタがもうすぐ終わるというので食べた。
2026/5/13(水)
PRML(ビショップの「パターン認識と機械学習」)をひさしぶりにパラパラめくっていたが、やっぱり面白いので、機械学習の授業(の理論編)をもうちょっとこれをきちんと引きながら資料を大きく更新したい。
あとはもうちょっとシミュレーションのプログラムをうまく作って授業に使いたいなとずっと思いつつ。いま使っているものでもいけてはいるのだが、もっとスッキリとしたものが作れるはずだとずっと思いつつ。もういまはClaudeにでも書いてもらったらすぐできるはずだ。そうわかってはいるものの。
2026/5/12(火)
先日下の子が「今日揚げパンだった」と幼稚園の給食のメニューを言っていたのが「今日アンキパンだった」と聞こえたので、そのままアンキパンの話を上の子としていた。そのあと本屋に行くことがあったので、いつか読んでくれればとドラえもん2巻(最初の話がアンキパン)を買っておいた。
それにしても子どもは全く漫画を読まないしゲームもあまりしない。自分の子が漫画もゲームも通らないとは。べつに無理やり勧めるものでもないので、はかない寂しさを感じることしかできないのだが。よく、子どもになにかをさせるには的な文脈で、親が本を読むのを見せることが大事とか、自然に手にするような環境を作っておくとか(本棚とか)、そういう話はよく見るけど、そんなに簡単な話ではなく、基本的にはそんなものコントロールできるわけがない(すべきでもない)。なにかをやる、興味をもつ、ということの要因は結局偶然が最も強いのだろうと思う。なにかを意図する「自力」はむなしい。たぶん子どもは勝手に育ち、親の意図通りになどならない。たぶんなったらだめなのだろう。
ともかく娯楽のメインは圧倒的にYouTube。ショート動画を延々と見るみたいなのは典型的にやる。Xとかには、ショート動画は危険という情報がたくさん流れてくる。実際どうなのかはわからない。そんなに単純な話ではなかろうと思う。大人からすると何が面白いのかわからず、見ていると不安になるのであって、不安を正当化する理屈がほしくなる、ということは少なからずあるだろう。それを言うならスマホばかり見ている大人も十分に危険だよな、と思う。
YouTube垂れ流し(と親の目には映る)、のようすを見ていると、そこに能動性がないように見えて怖くなる、ということだと思う。でも大人も十分に同じようなことをやっているだろう。
きっと、外から見えている以上に、子どもの頭の中は動いているのではないかなという気はする。もちろんただぼーっと見ているだけのこともあれば、見ながら工作しているときもあったり、まあまあマルチタスクを自然とやっている気もして、ともかくいまの大人が子どもだった頃とは情報への向き合い方が違うなと思う。
ただやはり、漫画にせよゲームにせよ、ある程度の長さのある作品に没頭するということをあまりやらない子は増えているのかもしれない。うちの子だけでなく。もちろん個人差は非常にあるだろうが。YouTubeへの触れ方を見ていると、かなりザッピングの頻度も高く、ショート動画の移り変わりも早く、ひとつの動画内も細かなカット割で間という間を消していて、速いリズムでずっと一定という感じがする。それに慣れてしまっていると、間のあるものがまどろっこしくなったりするのかもしれない。わからないが。マリオギャラクシーの映画もショート動画的だった。ずっと何かが起こっていて山ばかりという感じだった。なんとしても飽きさせない、みたいな。これは時代なのかもしれない。
あと、一応ストーリーというかお話のある動画も多いが、なんというかどれも刹那的で、何度も見たくなるようなものがあまりに少ない気はする。ずっと新しい(が、なんということもない)ものが無限に出てくる、という感じで、それをなんとなく新しさの刺激だけで見続けているという感じにどうしても見えてしまう。ずっと心に残る、ある種の傷のようになるものが、ここにはなかなかなさそうだなと、どうしても思えてしまう。
・・・というのは、自分の触れてきたものが高尚であったと思いたい恥ずかしい無意識の願望なのかもしれないので、我ながらこういうことを思ってしまうのはよくないよなあ、と思いつつ、そんなことをぼんやり思ってしまう。
なんにしても、みんな(僕も)、不安なのだろう。とにかく不安があふれている。不安を食い物にする商売もあふれている。たぶん人間は思っている以上にロバストなので、子どものことについては、不安になりすぎないのが大事なのだろうなと思う。
2026/5/11(月)
IRについての意見交換をさせていただいた。やはり、データを扱うという営みには、データの文脈を読める人こそが必要なのだ、ということを再確認するような時間だった。本当に意味のあることをやるのであれば、今後はますますそれが大事になるだろう。
これとは全く別の話。AIを用いることによって、ひとりの人ができることは飛躍的に広がっているんだけど、なんというか、目の届く範囲を大きく超えているのに、できた気になってしまう、ということがかなり起こっているような気がする。しっかりと自分の脳にグルグルと通したうえでの情報ではなく、AIがそれっぽく出してきてくれたものを、あまり吟味することなく採用する、ということがかなり当たり前になってきている雰囲気。たぶんそういうアウトプットは、それなりに、「間違ってはいないもの」ではあるのだと思う。でも、それは自分に染み込んだものにはなかなかなりにくいだろう。この「自分に染み込んでいない情報」がおびただしくやりとりされる世界というのは、いったい何なのか。何のためにそういう情報をやりとりしているのだろう。
と、こんなことはいまに始まったことではない(AI以前からそうだった)のかもしれないが・・・
2026/5/10(日)
娘が母の日を全力でやっていて、本当に優しい子だなと・・・
翻って自分はどうかというと全然で・・・恥ずかしながらなかなか恩返しができていないなと思う。
自分がいま楽しく生きることができているのは、紛れもなく母がそのように育ててくれたおかげである。絶対的に肯定されているという100%の安心が心の芯にある感覚。
自分が子どもを育てる立場になって、それをより強く感じる。自分もそうであらねばと思いつつ、なかなかできていない。
2026/5/9(土)
今後、「プログラムが書ける」ということの意味が変わる(もう変わっている)ので、授業でどうすべきか悩ましい。
いちから書きなさい、というのはあまり意味がないのかも。「ちゃんとした」コードを渡してしまって、「それぞれの行の意味を書け(もちろんAIに聞いて良い)」みたいな演習にするとか。要はAIに書かせたコードの意味と適切さを判断できる力。
で、もっとドメイン知識にもとづく問いの設定とか課題のモデル化とかを厚くやったほうがよいのかも。
2026/5/8(金)
非常勤デーで神田外語大。ビッグデータ解析論第4回。もう少し進め方を改善したいなと思いつつ。
読まないといけない仕事が大量にあるが、往復5時間ほどの移動があるのでそこでそこそこ進む。
2026/5/7(木)
本当に、「まずはAIに聞いてみよう」にどんどん世の中がなってる感。やっぱりそれをやりすぎると自分で考える力がどんどん衰える気がするんだけど、AIが使えない環境になったらほんとどうするんだろう…
2026/5/6(水)
今日はお出かけはせず。5日の休みのうち3日は外出して、けっこう充実感のあるゴールデンウィークだった。
やるべきことは全く進まなかった。こうして家族で過ごすことこそがやるべきことなので、それでよいのだが。
2026/5/5(火)
東京に来て9年半にもなるが、多摩地域に住んでいると都心にはなかなか出ることはない。子どもが小さいうちはそれこそなかなか都心に出るのは辛いので、「東京らしいところ」にはほとんど行かないままそれだけの年月が過ぎた。
ようやく電車に乗ってどこかに行くのもさほど大変でなくなったので、ちょっとずつ東京らしいところにも行けるようになりつつある。今日は子どもが行きたがっていた原宿に初めて行った。竹下通りなども大昔に行った気もするが、こんな感じだったっけという新鮮さ。ともかく人のおびただしさがおびただしい。
いまの子どものYouTube文化と原宿は近いので、ベビタピやらシールやらスクイーズやら、公式もそうでないのも有象無象がごちゃっと街をつくっていて、活気があってなんだか楽しかった。
2026/5/4(月)
今年は遠出をしないゴールデンウィークだが、あっという間に一日が過ぎる。もう夜。もう23時。
連休中も、こまごまとしたタスクと、ある程度時間をまとめてとらないとできないタスクがあるが、前者をやったらもう寝ないと明日もたないような時間になる。連休はあと2日。
そうこうするうちに、この時期恒例の某仕事がどさっと(例年の倍くらい)届く。そしてそれらはあんまり時間の猶予がないのでそっちの優先度が上がる。こうして、時間をまとめてとらないとできないタスクはずるずると後回しになるのであった。
秩序としずけさ(→「知的生産の技術」のメモ)を手にすることは今後もないだろう。それでもなんとかやっていかないといけない。
2023/5/3(日)
某アウトレットモールに行ったが尋常ではない人だった。尋常な日ではない日に行ったので当たり前だが。
@tawara_machi:
連休に来る遊園地 子を持てば
典型を生きることの増えゆく
かつては「混むって分かってるのに、なんでわざわざ!?」と思いつつ渋滞などのニュースを見ていた。でも、いざ子どもが小学生になると同じことをしていた。そして子どもが大きくなった今は、なんだかうらやましいような気持ちさえある。
ちょうど一昨日、この俵万智さんのツイートを見てしみじみしたが、まさにそうだし、そうにしかならないし、それでよいのだよな、と。同時に、「典型を生きること」は当たり前ではないのであって、その有り難さというものを忘れないでおかないとなとも思う。
それにしてもすごい人だった…
2026/5/2(土)
家族で立川の昭和記念公園へ。子どもらはとても楽しんでいてよかった。中学生まで無料というありがたさ。
天気がよくてよかったが暑かった。27度って、自分の子供の頃だと夏の気温だったよな。
ゴールデンウィーク中の宿題はあるがやるとすれば夜しかなく、早速初日から疲れてできずにいる。まあでも無理しない。
2026/5/1(金)
ずっと「何かを書く」ことを習慣としてやっておきたいと思っていて、この4月から何か始めようと思っていたが、結局ついダラダラと何もせずに終わってしまった。
雑記としてX(twitter)で書いたものを箇条書き的にまとめるのはずっとやってきて、それなりに書き貯められてきた感もあるが、そういうのとはまた違って、ブログ記事みたいにちゃんとまとまった文章を書いていくのもよいかな、というのと、それとは真逆で、日記的なものを書きつけていくのもまたこれからは大切かもな、ということをぼんやりと思っていた。
まずはこの後者の日記的なものをちょっとやってみようかな、とさっきふと思い立ったので、とりあえず早速書いてみることにした。雑記の[年/月]のリンクを日記にしてしまおう、と。例によって(?)風呂で思ったので風呂上がりに早速書いてみる。
とはいえ、プライベートはそれなりに抽象化しつつ(具体的なときもけっこうあるかもしれないが)、「外向け」に書く日記ということではある。
いつ頃、どんなことを思っていたのか、ということを残しておくのは、なにかと未来の自分にとってありがたいのではないかと思う。そしてそれをパブリックなところにこっそりと書くというのもある種の効果があって、2000年代の日記系サイト・・・とまではいかないが、個人的な自己表出のにじんだ指示表出のことばを残しておくのがよいかな、といまは思っているのである。
あまり深く考えずに即興的に書いていく、というのを、X(twitter)以上ブログ未満な感じでやってみたい。それにはCosenseがちょうどいい。
最近はいろいろ大変であまり仕事が進んでいない。やらないといけない書きものがいっぱいたまっている。1年前くらいまではがんばって子どもが寝た後にやるようにしていたが、この1年くらいはその気力体力がなく、夜中にがんばれなくなっている。睡眠ログに残しているように、2025年はそれまでより平均で数十分~1時間程度睡眠時間が増えているが、そのぶんだけ仕事量が覿面に減った気がする。今年はちょっと昨年よりまた睡眠時間が減っているのに仕事はできてない感がある。これが歳か。
今日は学会仕事やら学内業務やらをいろいろやったあとで丸の内に移動して大学院の授業。学部向けと似たテーマではありつつもデータサイエンス(データリテラシー)の授業。もう気づけばデータリテラシー系の授業は8~9年くらいやっていることになるのでかなりこなれてきたが、これからは何をどう学んでもらうべきかがとても難しいなとつくづく思う。自分自身がAIというものを捉えきれていない(捉える気力が起こらない)のでAIを取り入れたなにかを教えることができていない。
と、ダラダラと書いていると書きすぎてしまうので一旦今日は終わり。